森里海から「あののぉ」
第21回
藍屋敷(城構えの家)
日本三大暴れ川と言われる吉野川は「四国三郎」とも呼ばれ、利根川「坂東太郎」・筑後川「筑紫二郎」と共に全国有数の洪水地帯を形成していました。毎年のように洪水被害をもたらす吉野川の氾濫原に栄えたのが藍栽培です。
「*耕作の基本は洪水を利用するという『自然客土』にあった。森林で蓄えられた栄養分は洪水で土砂とともに大量に流され、沿岸の氾濫原に肥沃な土壌をもたらした。」とあるように洪水と藍栽培は切っても切れない密接な関係にあったようです。
藍栽培は事業として大成功し、阿波に莫大な富をもたらします。藍商人たちは全国から買付けに来る商人たちをもてなすために競って豪壮な屋敷を構え、接待に多くのお金を使ったようです。立派な藍屋敷があちこちに見られるのはこのような歴史的背景があるのです。氾濫原に建てられた藍屋敷は洪水に見舞われることもたびたびでしたので、敷地の周りを城のような石垣で囲い、敷地全体をかさ上げして洪水から屋敷を守るという水防建築が生まれたわけです。「城構え」と呼ばれる所以です。
石垣は青石と呼ばれる徳島独特の石を使用するなど、地域性豊かな土着的表現として、また藍産業の産業遺産としての価値も高いものがあります。石垣だけで無く水防の工夫は他にもありました。田中家住宅で今もお住まいの家主の方に聞いたのですが、なんと母屋の茅葺屋根は水が屋根まで達すると浮き上がるようになっていて救命ボートの役割をするのだそうです。まさに究極の洪水対策、氾濫との共生とさえ言えるのかもしれません。川の氾濫が生み出した産業と建築、徳島の誇るべき文化遺産と言えるのではないでしょうか。
※ 本連載は、菅組が発行する季刊誌『あののぉ』で著者が連載している内容を転載しています。