ぐるり雑考
第5回
あいていない扉をひらく
高3の顔見知りの子が、友人の店を訪ねて「卒業後に働けますか?」と訊いたところ、「んー。いま募集はしていないんだ」という返事をもらってあきらめてしまったのか、最近遠くの就職説明会に足を運んだりしているみたい、という話を耳にしてちょっと気持ちが沈んだ。
募集していない、にもかかわらず「一緒に働きたい」と伝えてみたら、そこから世界が変わってゆくのに。
いや、そんなに強い気持ちでは無かったのかも。あるいは気持ちを練り上げてゆく訓練が足りていないのかもしれない。本人ではないので詳しいところはわからないけど、これまでの人生で、彼女のまわりにはどんな大人がいたかな? と思う。
気持ちをあまり言葉にしなかったり、物事をスッとあきらめがちだったり。そんな大人をたくさん見ていたら、子どもも同じようになるだろう。
私たち大人には、こういう責任があると思うんですよ。
たとえば、親が「お金がすべてじゃない」といくら語ったところで、外食が多かったり、日々食卓に並ぶのはすべて買ってきたものなら、「お金いるし、結構すべてかも……」と了解して育つはずだ。
しかし田舎の実家を訪ねて、卓袱台に並んだ料理がいくつかの調味料にいたるまでお婆ちゃん自身がつくったものだったら、「へー(!)」と思うんじゃないか。
あるいは親が「家族で旅行いくぞー」と言い、段ボールに「伊勢」とか書いて高速の入口付近に立ち、車が止まって、「名古屋まででいいですか?」「もちろん」なんていうやり取りを目の当たりにしてしまったら、「お金がすべて……ではなさそうだな」と、教えられるまでもなく思えるようになる。
大人の仕事の一つは、「この世界にこんなふうにいられるんだよ」ということを、子どもたちに伝えることだと思う。具体的に。それが彼らの世界観や可能性、ひいては未来を規定してゆく。
高3の子の話に戻ると、売っているものしか買ったことがないんだなと思った。店先に並んでいないものもたくさんあるし、交換に足るものを持ち合わせていなくても手に入れることが出来たりする。そんなことがあるんだ。そして扉を開くのは、他でもない自分の気持ちと動きなんだよ、ということを教えてあげたい。
いや、教えるんじゃだめ。やって、姿を見てもらわないと。