“Families” on the move
移動する「家族」の暮らし方
第2回
団地で見つけた「理想の暮らし」
ネパールから来たビサールさんの物語(1)
今から3年ほど前に、所属する研究室の「団地の暮らし」というプロジェクトで、神奈川県横浜市内のある団地で調査をする機会を得た。JR根岸線洋光台駅前にずらりとならぶその団地は、駅の開業の翌年にあたる昭和46年に誕生した。当時、日本は高度経済成長期の真っ只中だった。地方から首都圏での仕事を求めて多くの人が移住してきたため、人口の増加に対応するべく、各地で団地の建設が進められた。ダイニングキッチンや水洗トイレといった設備を備えた住宅はその頃まだ珍しかったので、団地は人びとの「憧れの住まい」として注目を集めた。それから40年以上を経て、団地をめぐる状況は大きく変わった。
そこで、今の団地ではどのような人びとが、どのように暮らしているかを調査してみよう、というのがプロジェクトの趣旨だ。私は大学院の仲間とともに、近年増えている外国からの移住者の暮らしを調査することにした。その調査で出会ったのが、ネパール出身のビサールさんだ。
ビサールさんは、団地を管理している会社の方に紹介されて訪れた、インド・ネパール料理店のオーナーだった。団地の商店街にある店からは、何種類ものスパイスや、ナンが焼ける香りが商店街中に広がる。店内は20名ほど入ったらいっぱいになるくらいの広さで、昼時になると、赤ちゃん連れの女性や、昼休みの会社員、団地で暮らすシニアたちで満席になる。店内の壁には、ネパールの地図、日本とネパールの国旗のTシャツを着たビサールさんとスタッフの写真、ヒマラヤの寺院の写真、地域のイベントのポスター、近所の小学校の子どもたちからのメッセージカードが貼られていた。メッセージカードには、「色々なことをおしえてくれてありがとうございました!」と書かれていた。
調査の依頼をするために初めてビサールさんに声をかけたときのことを、今でも鮮明に覚えている。ビサールさんは、「待ってたよー!そういうの。ぜひ!ぜひ!」と満面の笑みで応えてくれた。