流しの洋裁人の旅日記

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富士吉田市:ハタオリマチフェスティバル

繊維産業が全国的に衰退し、60代と70代が支えている産地が多い中で、富士吉田は20代から40代が少しずつ受け継いでいるのが特徴的です。関東の芸大生が産官学連携事業などを通して機屋さんと知り合って働き手になったり、地域おこし協力隊などを通して移住してくる人もいて、程よく外部の血が混ざっています。富士山を仰ぎ見るかつて栄えた商店街は、空き店舗なども多くありますが、このお祭りではそういった場所も使っていました。空き家空き店舗問題は「貸し出すには修復が必要で、面倒だから貸さない。」とそこで終わってしまうこともありがちですが、今回のような街に賑わいを取り戻すようなイベントを随時開催していけば、ちょっとずつ意識が変わっていくのかもしれません。

ハタオリマチフェスティバルの様子

富士吉田は高校を卒業すると、東京に近いこともあって東京に若者が流出しがち。でもよく考えてみれば近いから逆に移住者を呼びやすい。今回のイベントで関わった方々は、縮小化していく繊維産業をハタオリマチと名付けて捉えなおし、街がザワめく楽しい仕組みを作っていました。俺も私もやるやるー!とついついその円に加わりたくなるような。そして行政が程よく支えるというとてもバランスのとれた前向きでパワフルなものでした。まず住民である自分たちが一番ここでの生活を楽しんでいて、どう外部の皆さん。楽しい町でしょ?と伝わってきました。ここで育った高校生はそんな楽しそうな大人たちを見て、また街を使いこなしに帰ってくるんじゃないかなとも思いました。
昨年より今年は規模も来場者数も出店者数もコンテンツ数も増えイベントがすごく育ちつつあります。私も毎年流してそれを見続けたいなと思います。

かつて富士吉田は富士講で栄え、御師と呼ばれる富士山の神霊と富士講の信者の間に立ち、自宅を宿泊所として提供し、富士信仰を伝導した人々の住む街でした。その方々のパッションは、いまも形を変えて街の魅力を発信していく「間に立つ人」として受け継がれていっているようです。

著者について

原田陽子

原田陽子はらだ・ようこ
1984年晴れの国岡山生まれ。武庫川女子大学生活環境学科卒業後、岐阜のアパレルメーカーへ営業として就職。「服は機械で自動生産されると思っていた」を耳にしたことをきっかけに、全国各地へミシンや裁縫道具を持参し、その場にいる人を巻き込みながら洋裁の光景をつくる活動を、2014年9月から開始。現在、計40カ所を巡る。洋裁という行為を媒介に、人や場、文化の廻船的役割を担うことを目指している。

連載について

ある日、東京・新宿にある百貨店で買い物をしていたところ、見慣れない光景が目に飛び込んできました。色とりどりの生地がかかるディスプレイの奥で、ミシンにひたすら向かう人がいました。売り場に特設されたブースには、ミシン一台と「流しの洋裁人」と大きく張り出された布の垂れ幕がかかっていました。聞けば、全国各地に赴き、その土地でつくられた生地を用いて即席でパジャマのようなふだん着を製作する活動をしているのだとか。食事については、ずいぶんと生産地や生産者を気にするようになりましたが、衣服のことはまだまだ流行や価格に目を奪われてしまいます。原田さんの全国を股に掛ける活動記録から、衣服に対する見方が少しずつ変わるかもしれません。