<遠野便り>
馬たちとの暮らしから教わること

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12月:寒さの底へ降りていく

Less is more.

ところで、動物に対する虐待ということがしばしば話題になります。馬についても同じ話題があります。

〈虐待〉とは何でしょう。目に見える暴力はわかりやすいです。むろん、それが一番の問題ですが。けれどもそのような目に見えてわかりやすいものだけとは限りません。

ぼくの失敗経験から言うと、〈要求のしすぎ〉自体がすでに虐待そのものでした。たとえば、もっと速く、もっと高く、もっと素早く、もっと静かに。もっともっともっと。

前回に引き続き英語の格言で言うと、Less is more.という言葉があります。20世紀、建築家が標語として使っていたそうですが、これを現代の敬愛すべきホースマンが使用法を変えて使っていました。人と馬との関係において、「やりすぎはダメにする。やらないことではじめて得ることがのできるものがある」というような意味合いです。

Less is moreを身体的に獲得することで具体的に得ることができるのは、馬との友情であり、信頼関係であり、協調関係であり、それらに基づいた自らの可能性を切り開いていく自発性です。

放牧地にササがあれば雪の中でもそれを食べることができる、というのは馬たちにとってとても大切な〈野生的〉能力。

具体的なシーンを語りましょう。馬の背中にいて、人は鞭を持っているとします。人は馬にとても強く何かをしてほしいとします。もっと速く走ってほしいとか、もっと高く跳んでほしいとか。このとき問題なのは、鞭そのものではなく、人の馬に対する〈要求〉です。馬にとっては「知ったことではない」要求を突き付けてくる存在に対して、馬ができることは「従順なふりをして」従うか、どういう形にせよ反抗することです。

馬がこの瞬間欲しているのは「自由な判断をして自由に行動できること」です。けれども従わなかった馬にはさらに強い形で要求のメッセージがやってきます。これが虐待の萌芽です。言うことを聞かなければもっと強くもっときつく身体と精神に要求がなされる、という一連の、けれども人の社会ではわりとよく見られる行動様式であったり、時として社会の中に潜む暗黙の了解だったりします。

馬はこれが死ぬほど嫌いです。そしてたぶん人も。

12月初頭、積雪がない時期、山の緩斜面の牡馬たちにとって放牧地は別天地である。放牧地を囲っている電気牧柵をかいくぐって、さまざまな獣が徘徊している跡はあるが、馬たちとの間に(たとえそれがツキノワグマでも)トラブルは起こらない。人と馬のあいだでは、鞍をつけずに気ままに山道を行くかっこうの季節が続く。

ですから、要求をしないこと、でも、こういうことしない?って誘うことについては待っていることがあります。信頼を基盤にした知的好奇心が同調した行動をもたらします。ですので人は、自分の心の中の、要求と誘いのあいだの微妙な違いを冷静に見極めることがとても大事になります。いずれにせよ、人と馬の場合、〈一方的な要求〉と〈誘いと合意〉の間にある、幅の狭い言語(身体言語)の違いが、ときとして虐待にエスカレートしていくのか、信頼関係や友情が育まれていくかの、分水嶺になっていると思うようなりました。

冬至に向かってますます夜が長くなっていきます。朝の始まりは1月にかけて遅くなっていきます。寒さの底は1月から2月でしょうか。

馬たちはこの冬もタフに元気よく過ごしてくれることと思います。私たちも元気よく寒い冬を過ごしてまいりましょう。また来年。

著者について

徳吉英一郎

徳吉英一郎とくよし・えいいちろう
1960年神奈川県生まれ。小学中学と放課後を開発著しい渋谷駅周辺の(当時まだ残っていた)原っぱや空き地や公園で過ごす。1996年妻と岩手県遠野市に移住。遠野ふるさと村開業、道の駅遠野風の丘開業業務に関わる。NPO法人遠野山里暮らしネットワーク立上げに参加。馬と暮らす現代版曲り家プロジェクト<クイーンズメドウ・カントリーハウス>にて、主に馬事・料理・宿泊施設運営等担当。妻と娘一人。自宅には馬一頭、犬一匹、猫一匹。

連載について

徳吉さんは、岩手県遠野市の早池峰山の南側、遠野盆地の北側にある<クイーンズメドウ・カントリーハウス>と自宅で、馬たちとともに暮らす生活を実践されています。この連載では、一ヶ月に一度、遠野からの季節のお便りとして、徳吉さんに馬たちとの暮らしぶりを伝えてもらいながら、自然との共生の実際を知る手がかりとしたいと思います。