流しの洋裁人の旅日記
第4回
服は何からできている?(1)
12月は、直線移動距離にしておよそ2000kmを超えました。2,3日に東京青山で開催されたフリーマーケット「RAW TOKYO」、9,10日に大阪中津にあるオルタナティブスペースPLAYで開催された「itocaci×流しの洋裁人」で流し、11日は奈良県天川村(流しの下見)、12日は京都市下京区にある貼箱専門「BOX&NEEDLE」さん(SNSで流し先を募集したら快諾してくださいました)で流し、13日は大阪府阪南市にある「大正紡績」さんで綿繰り体験をし、17日は都内池袋にて開催されたマルシェ「nest marche」で流し、22日は生地の仕入れでお世話になっている愛知県一宮市の「近藤毛織工場」(生地を織る工場)さん、「カナーレ」(生地を企画する会社)さん、岐阜県山県市の生地の整理加工工場を訪問し、23日にはトークイベントを聞きに都内八王子にあるアートギャラリー「つくるのいえ」に行き、25日は打ち合わせで富士吉田市へと訪れ、年末の挨拶をして参りました。
今回訪れた街はそれぞれ織物の産地であり、京都には西陣織が、奈良には靴下や貝ボタンが、愛知県一宮市には毛織物が、八王子にはシルクやネクタイが。さらに 「西陣の技術が丹後や桐生に伝わり、丹後の技術がさらに近江へ、桐生の技術が秩父や八王子へという伝播をとげながら(後略)1」おぉ!なんと西陣と八王子がつながる! など発見がありました。
書きたいことが山盛りあるのですが、12月は大正紡績さんにお邪魔して綿繰り体験をしてきたので、そのことを中心に今号と来号では衣服の素材に目を向けて書いていきます。
ところで、ご自身が着ている服の左脇についているタグをじっくりと見たことがありますか? そこには、その衣料品の洗濯時の取り扱い方や原産国、組成表示が書いてあるはずです。
あたりまえのことかもしれませんが、「服」は「生地」からできています。その「生地」は皮革や不織布ではない限り、「糸」を編むもしくは織ることで「生地」となります。「糸」は「繊維」からできていて、繊維は「長鎖状高分子」からできています。
「綿」もしくは「COTTON」と書いてあれば「ワタ2」という植物からとれる木綿繊維を紡績した糸から生地ができ、「ポリエステル」と書いてあれば石油を化学的な方法によって「長鎖状高分子」にした繊維をつくり、それを引きそろえたり紡績して合成繊維糸をつくり、生地ができています。
衣服の素材を辿ると、日本の殖産興業の歴史、産業の変遷まで読み取ることもできますし、繊維の貿易からはグローバル化していった経済の歴史まで関わってきます。また絹糸に似せて作ったナイロンなど科学の進歩にも寄与していますし、農・畜産業からなる繊維原料の生産背景を辿ると「オーガニック」という生産の仕組みや、労働の問題まで浮上してきます。
「衣服は世界の誰かがどこかで縫っている」と同時に、現在国内では原料自給率がほぼゼロであり蚕や羊、綿花や麻を育てていないので「世界の誰かがどこかで綿花や絹、羊を育てている、石油を掘っている」のです。
前置が長くなりましたが、まず棉が綿糸になる工程を辿っていきましょう。
(1)『講座・日本技術の社会史 第三巻 紡織』、永原慶二・山口啓二編、株式会社日本評論社発行、1985、p3
(2)ワタ・棉・木綿繊維(綿)の表記が示すもの:ワタは植物名をさす。ワタを育てて花が咲き、その花を綿花と呼び、実ができる。この実が膨らんではじけたもの(朔果)を棉の実(コットンボール)と呼び、中から棉の塊が溢れだしてくる。この塊の状態はまだ棉と呼ぶ。綿とは、棉から種子を取り除いた木綿繊維(綿)のみの繊繊塊をさす。木綿繊維(綿)の正体は種子の表皮細胞が繊維状に延びたものである。綿を紡績して綿糸ができあがる。