F・LL・ライトに学ぶ
ヴィンテージな家づくり

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敷地の魅力を引き出す100年住宅
Hardy 邸(1905)

前回までは、私がタリアセンでどのような生活をしていたのか紹介しました。これからはF・LL・ライトがどのような建築を設計していたのか、私が訪ね廻った住宅を一つずつみていきたいと思います。今回は、「Hardy邸」です。

ライトは日本と深い因縁のある建築家です。ライトが初めて勤めた設計事務所の建築家J.シルスビーは、日本の美術を世界に紹介したA.フェノロサの従兄弟に当たります。ライトは若い頃から日本の文化に関心を持ち浮世絵に通じていました。1905年に計画されたHardy邸の見上げのパースは、掛け軸のようなプロポーションで日本美術の影響がうかがわれます。
Hardy邸はウィスコンシン州ラシーンに位置し、五大湖の一つミシガン湖に面した急な崖地に建っています。道路側からは平屋に見えますが、内部は三層です。崖の勾配がきついので、多くの人はこの場所に家を建てるのは困難だと考えていたようですが、ライトは建物を傾斜に合わせて建物を崖に食い込ませ、崖と建物を融合させました。
道路からは湖は見えません。正面脇の小さな玄関を入り、半階上がるといきなり天井の高いリビングに出ます。遠くに広大な湖を一望でき、空まで見上げられる素晴らしい眺望が目に飛び込んできます。開口部は2層分の高さで、さらに1階上がると居間の吹き抜けに面したギャラリースペースがあり、湖を見下ろすアングルになります。まさに崖地ならではの空中散歩ができ、木漏れ日の中で景色を独り占めしているような爽快感を味わえます。築100年を過ぎてもその魅力は衰えていません。

Thomas P. Hardy House

左図/ライトのハーディ邸パース。この大胆な構図は、安藤広重の浮世絵から大きな影響を受けていることが指摘されている。(出典:A TESTAMENT by F. LL. Wright 邦訳「ライトの遺言」彰国社)
右写真/Hardy邸外観。Googleのスチリートビュ-で現在も健在ぶりを確認できる。

ダイニングは最下階にあり広いテラスに面していて、どっしりと地に足がついている安定感が感じられます。テラスからは崖に降りることもできます。キッチンは、近年の傾向とは異なりダイニングとは隔てられています。当時はメイドが家事をするのが当たり前でした。調理中の気配が家族に届きにくいように、配膳室などがダイニングとの間に設けられることが多かったのです。キッチンの配置は、100年の時代を感じさせます。

ライトのステンドグラスのデザインは、装飾のためだけのデザインではありません。大判の板ガラスの製造が難しかった建設当時、大きな開口部を造るには、鉛でガラスをつなぐステンドグラスの手法が有効だったのです。

ステンドグラス

Hardy邸の魅力的なステンドグラスのデザイン

著者について

半田雅俊

半田雅俊はんだ・まさとし
1950年生まれ。1973年工学院大学建築学科卒業。遠藤楽建築創作所勤務の後、1981~83年 F.LL.ライトの建築学校・設計事務所『タリアセン』在籍。ライトの住宅100棟以上を訪ね歩く。1983年半田雅俊設計事務所設立。NPO法人家づくりの会理事 。少ないエネルギーで快適に暮らせる、地域の気候風土にあった家「びおハウスH」開発者。