流しの洋裁人の旅日記

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服は何からできている?(2)

前ページでは、繊維をほぐす混打こんだ綿めん工程、そして繊維の方向を揃えるりゅう綿めん(カーディング)工程とせい梳綿(コーミング)工程を見てきました。
次に、再び繊維の方向を揃えながら、繊維束を引き伸ばす、練条れんじょうという工程を通ります。

3. 繊維の方向を揃え、繊維束を引き伸ばす

スライバーを6〜8本合わせて1本にし、それをまた6〜8倍に引っ張り、元の1本のスライバーの太さに戻していきます。うどんやそうめんも引き伸ばしてまた合わせて引き伸ばしますよね。あのような感じです。この工程により、繊維の方向が揃い、均一な太さのスライバーができあがるそうです。

【練条工程】スライバーがすいこまれていきます。8本合わされ、
元の1本の太さになるよう引き伸ばされる

そして、ようやく綿わたが糸らしくなる粗紡そぼうという工程を通ります。綿わたと糸の違いは、引っ張っても繊維がバラバラになってちぎれないことです。練条スライバーを引き伸ばして、わずかに撚りをかけ、粗糸を作ります。

【粗紡工程】左から、練条されたスライバーが再び合わさる/元の1本の太さ以上に細く引き伸ばされる。/回転する下の棒(ボビン)に巻き取り撚りをかける。/棒がブンブン回っている。/止めるとこんな形。

4. 繊維に撚りをかける

ついに、最終段階の糸になる工程「精紡せいぼう」です。
粗紡された粗糸の管を上方にセットし、下の管に巻き取っていきます。この時に粗糸を下に行くほど速く回転するローラーの間を通していくので、糸が引き伸ばされていくのだそうです。そして、巻き取る下の管が回転しているので糸に撚りがかかっていくそうです。

【精紡工程】右写真は、近寄ってみた精紡の要の部分

このローラーや下の管の回転数を調整して、太い糸から細い糸、撚りの多い糸(ピシッとしている)や撚りの甘い糸(ふんわりしている)など注文に合わせていくそうです。

手つむぎで言うと、糸車を回しながら糸をひいていく段階ですね。

この工程ははじめ何をしているのかわからなかったのですが、解説をうけて高速回転する機械の部材をじっくり観察していると引き伸ばしながら同時に撚りをかける意図が読み取れ、機械の開発者すごいなと感心しておりました。

このあと、チーズという円筒形の形やコーンと呼ばれる円錐状の形に巻き返され、織り糸や編み糸の原糸や縫い糸になり、納品されていきます。

コーン状に巻き返された糸

以上で、ようやく綿めんが糸になりました。綿めんが糸になるまでに、これだけの手間がかかります。綿わたになる前はもちろんワタを半年以上かけて育てた期間があります。畑に畝をつくり、種を撒き、水をやり、間引きをし、草をむしり、害虫と戦い、棉の実を摘んでからの綿繰り→精紡に至るのです。栽培の自動化には未だ限界があるので、世界中で誰かが汗を流してワタを育ててくれています。糸になったあとは、生地を織る、編むまでまた果てしなく相当な手間が発生していきます。そして生地になり、裁断や縫製の工程を経て私たちの毎日着ているTシャツやシャツ、Gパンに変化していくのです。でもこの綿めん……じつは日本で衣料素材として大衆に一般化したのは江戸時代以降です。

来号では引き続き綿めんという素材について、日本での普及ストーリーを書いていきます。

(1)『そだててあそぼうワタの絵本』日比暉編、社団法人農山漁村文化協会発行、1998年、p23

参考文献

『もめんのおいたち』財団法人日本綿業振興会発行、1976年
『はじめての綿づくり』大野泰雄編、株式会社木魂社発行、1988年
『ワタが世界を変える 衣の自給について考えよう』田畑健著、株式会社地湧社発行、2015年

撮影協力

大正紡績株式会社

著者について

原田陽子

原田陽子はらだ・ようこ
1984年晴れの国岡山生まれ。武庫川女子大学生活環境学科卒業後、岐阜のアパレルメーカーへ営業として就職。「服は機械で自動生産されると思っていた」を耳にしたことをきっかけに、全国各地へミシンや裁縫道具を持参し、その場にいる人を巻き込みながら洋裁の光景をつくる活動を、2014年9月から開始。現在、計40カ所を巡る。洋裁という行為を媒介に、人や場、文化の廻船的役割を担うことを目指している。

連載について

ある日、東京・新宿にある百貨店で買い物をしていたところ、見慣れない光景が目に飛び込んできました。色とりどりの生地がかかるディスプレイの奥で、ミシンにひたすら向かう人がいました。売り場に特設されたブースには、ミシン一台と「流しの洋裁人」と大きく張り出された布の垂れ幕がかかっていました。聞けば、全国各地に赴き、その土地でつくられた生地を用いて即席でパジャマのようなふだん着を製作する活動をしているのだとか。食事については、ずいぶんと生産地や生産者を気にするようになりましたが、衣服のことはまだまだ流行や価格に目を奪われてしまいます。原田さんの全国を股に掛ける活動記録から、衣服に対する見方が少しずつ変わるかもしれません。