まちの中の建築スケッチ
第6回
旧西田川郡役所
——明治の木造建築
山形といえば、月山、湯殿山、羽黒山の三山講の霊山を擁する民俗信仰の残る地域である。その山形県は、子どもたちがまだ小さい頃に蔵王へスキーにでかけたくらいで、比較的最近まで身近に感じることがなかった。井上ひさしが2010年に亡くなったのがきっかけで「吉里吉里人」や「ボローニャ紀行」など何冊か読み、山形生まれの作家と知った。その後は藤沢周平にも魅せられて、2、3年は藤沢周平ばかり読んでいた。真鶴の「美の条例」で有名な弁護士の五十嵐敬喜氏も山形出身である。湯殿山の注連寺の天井画には、鉛筆画で有名な木下晋画伯の合掌図があって一昨年訪れている。そこを舞台とした森敦の「月山」も印象深い本だ。
そして、昨年9に唐丹小白浜に震災復興拠点として竣工した家「潮見第」は、当初から伝統木構造で作ろうと、鶴岡の棟梁、剱持猛雄氏にお願いしたことから、ここ4年の間で山形県鶴岡市には5回目の訪問となった。
鶴岡市が事務局をしている「つるおか住宅活性化ネットワーク」には、昨年に引き続いてのシンポジウム(2月25日)に呼んでいただいた。今年は、民家がテーマであった。町屋建築は間口が狭いこともあって柱や梁も、断面はあまり大きくないことが多いが、民家では大黒柱や大きな屋根をかける立派な梁が使われていることが多い。現地の杉を使って、地元の大工さんの手刻みによる木組みの住宅を、もっともっと普及できないかという趣旨である。かつての民家と同様という訳にはいかなくても、その組み方の基本を受け継いだ形で、伝統技術が活性化することに期待したい。
昨年のシンポジウムのときはちょうど雛祭りの時期で、100年を超えるいわれのある雛人形が神社や旧家などまちの随所に飾られ、まちを巡りながら、思わず季節の伝統行事を体験したことが思い出になっている。今年のシンポジウム翌日は、ときどき小雪の舞う冷たい日であったが、シンポジウムで基調講演をした松井郁夫氏と一緒に、剣持氏ご子息の大輔氏が気合を入れて組み上げた完成直前の伝統木造の住宅を見学させてもらった。その後は鶴岡に残るいくつかの明治期の木造建築を見ることができた。
庄内藩の藩校「致道館」の名にちなむ致道博物館は、市の中心部、元鶴ヶ岡城の三の丸にあって、まちが生まれ変わろうとした明治時代の木造建築なども多く移築され、見学できるようになっている。今の鶴岡が西田川郡と呼ばれたときがある。そのときの旧西田川郡役所が目を引いた。設計および施工は、高橋兼吉、石井竹次郎とされており、明治期にこの地区の多くの公共建築を手掛けていたようである。
ルネッサンス風の擬洋風建築と言われるが、まさに明治を偲ばせる。スケッチは、博物館の外の掘割の裏手になるが通りを隔てた場所からである。玄関のポーチが付くほかは、平面としては前後左右対称形である。庭や道路には、まだ雪が一面に残っていた。風見のついた時計塔が屋根からすっくと立ち上がっているのが印象的で、プロポーションとしては細かすぎるようにも感じるが、それが威圧的でないための設計者の意図のようにも推量してみたがいかがであろうか。