まちの中の建築スケッチ

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盛岩寺の鐘楼
——漁村集落の震災復興

東日本大震災から間もなく7年になろうとしている。なかなか、明るい希望が見えてきたとは、まだ言えないかもしれないが、まちは少しずつ新たな様相を呈している。三陸海岸を襲った、明治、昭和を上回る平成の大津波は、大自然の中で生きる意味を、改めて考えさせられた。
大学院生の春休みの時に、スケッチブックと油彩の道具も持って、三陸海岸を気仙沼の唐桑半島から北山崎まで車で巡ったことがある。まだ砂利道が当たり前だった時代である。唐丹とうに小白浜こじらはまの藤巻徳三郎氏の家に泊めてもらった。朝早く、わかめを刈る舟に乗せてもらった。戻ってから用意されていた、海の幸たっぷりの朝食が、今も記憶に残っている。
2011年の5月の連休のときに、唐丹を訪れて、浜の見える藤巻氏の家をさがした。赤い紙が貼ってあり、危険と判定されていた。標高15mくらいの敷地であるが、1階の天井まで津波の跡が確認できた。その後、6月には、学生3人と小白浜を含む漁村集落の津波被害調査を実施し、復興支援にかかわるようになった。
2003年から建築基本法制定準備会を立ち上げて、建築に関わる法制度の基本的な変革のための運動を展開しているが、国会議員との議論だけでなく、現場での問題意識も大切だということで、震災の翌年から、毎年、建築基本法制定準備会と小白浜町会との共催の形で、まちづくり意見交換会を開催している。学生にも参加してもらって、ヒヤリングをしたり、将来計画を報告書にしたりして来ている。さらに継続的な支援のためには、拠点が必要であろうということで、株式会社唐丹小白浜まちづくりセンターを立ち上げ、株主を募集して資金も集めて、昨年9月には、120㎡の木造2階建ての家を新築した。屋号を「潮見第」と名付けた。これから復興に向けて、何ができるか模索しているところでもある。
往年の商店街は、津波の前から店の数を減らしているが、今や数軒を数えるほどになってしまった。新しい、唐丹小中学校が昨年竣工し、まちの体制は整ったものの、子どもたちの数も1学年10人に満たない状況で、若い家族にどのようにして定着してもらうかが最大の鍵である。

盛岩寺鐘楼のスケッチ

潮見第の向かいは曹洞宗盛岩寺である。鐘楼は、津波で押し倒されたが、すぐに建て起こした。庫裏は被害が大きかったので取り壊し、3年かけて立派に再建された。朝と晩の6時に、6つの鐘が打たれる。潮見第からは、形の良い松と鐘楼が眺められる。
都会では、鐘を打つ音が聞かれなくなったのが残念である。夕方、公園のスピーカから流れてくる音楽よりは、鐘の音の方がよほど良い。おせっかいな親切心から、駅でも騒音のようにアナウンスが繰り返されるのは、何とかならないかと思ったりする。海と山に囲まれた三陸の浜では、6つの鐘の音は、生活の時を刻んでくれる心地よさがある。

著者について

神田順

神田順かんだじゅん
1947年岐阜県生まれ。東京大学建築学科大学院修士修了。エディンバラ大学PhD取得。竹中工務店にて構造設計の実務経験の後、1980年より東京大学工学部助教授のち教授。1999年より新領域創成科学研究科社会文化環境学教授。2012年より日本大学理工学部建築学科教授。著書に『安全な建物とは何か』(技術評論社)、『建築構造計画概論』(共立出版)など。