まちの中の建築スケッチ
第33回
小金宿の玉屋
——宿場町の面影——
江戸時代には街道が整備され、徒歩を前提とするので、ある間隔で休憩や宿泊の場が必要となる。大名行列はもとより、一般庶民までが旅をすることが可能になったということを思うと、宿場町は、まさに江戸時代の社会的共通資本の一つである。
水戸街道は、五街道には含まれていないが、徳川御三家の水戸藩の他にも多くの大名が利用したと言われ、極めて重要度の高い街道とされている。全長116㎞の間に20ほどの宿場町がある。その間隔は、短いところは徒歩で2時間、長いところは4時間くらいか。江戸と水戸は2泊3日の旅程だという。江戸からは千住から江戸川を越えて松戸宿に入り、その次の宿が小金宿である。地形の起伏も理由になっているのか、このあたり街道はかなり折れ曲がっている。
結婚して新居を定めたのが松戸市小金原のマンションであり、途中海外留学をした3年を挟んでその前後で7年間住んだところである。常磐線北小金の駅から、国道6号線を越えてすぐのマンションまで歩くと15分くらいであるが、国道の手前で、小金宿の旧旅篭玉屋の前を通る。先日の新聞に地域の人が、当時の宿場の雰囲気を感じさせる建物という趣旨のことを書いていたのを見つけて、急に懐かしさを覚えて出かけてみた。
昼前のけっこう強い夏の日が瓦屋根を明るく輝かせている。歩道を覆う庇は、深い影をつけていて、改めて眺めると時代の面影が偲ばれる。これは、庇というよりは、通りに屋根をかけた形になっており、雪国によく見られる雁木という方があっているようだ。幸い周辺には高いマンションもなく、2階建ての住宅が立ち並んでいる地区で、当時は、150軒ほどの小さな宿場町であったというが、遠景に農家を望んだり、旅篭も何軒か軒を連ねていたのだろうと想像できる。
ふつう町屋のイメージだと、時代劇などでも2階建てで、2階の窓から泊り客が通りを眺めるという情景が浮かぶのであるが、玉屋は格子戸の入口と大屋根が印象的である。きっと大きなエントランスホールになっていたということか。奥の2階建てが宿泊棟になっている様子が見てとれる。想像するに、この大屋根は、江戸時代当初は茅葺屋根であったろう。茅葺とすると勾配はもう少し急になるかと思われるが、瓦屋根にしたときに手を加えたのかもしれない。また、雁木も旅篭が何棟か連ねてアーケードを構成し、雨や強い陽射しのときも、旅人を優しく守ってくれたのであろう。
ちょっとした機会に、35年ぶりに訪れることとなった。思えば初めてじっくり対面して、これだけいろいろと想像させてくれたということも長寿命の建物の社会的価値である。住み続けておられる方に敬意を表する。