まちの中の建築スケッチ

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港区立伝統文化交流館
——建物を使い続ける意味——

港区立伝統文化交流館

竣工してまだ1年もたたない、新しい伝統文化のための交流館が、高層ビルや高層マンションに囲まれた港区の芝浦にある。昭和11年(1936年)に建てられた見番建築が蘇ったということだ。
見番とは、辞書によると「土地の料亭、待合、置屋の業者が集まってつくる組合の俗称」とある。遊興のための施設とはいえ、組合ということで多少は公に近い意味もあったのかも知れないと想像する。パンフレットには、同じような建物が軒を連ねた絵も載っており、このあたりに花柳界の賑わいの通りがあったことが想像できる。
戦争が激化して、とても花柳界も商売ができるような状況でなくなり、1944年からは東京都港湾局のものとなった。戦災を免れた戦後は、主に港湾労働者の宿泊所として「協働会館」の名前で公共施設として利用されたが、2000年に閉鎖した。しかしその後、地域の保存の声を受けて、2009年には都から区に譲渡された古建築が、区で面倒を見ることとなり、港区の基本計画にも位置付けられて、2015年2月には、芝浦港南地区総合支所の名で「旧労働会館保存・利活用のための整備計画」も作られて、築80年の木造建物が使い続けられることとなった。そして、このたび「リファイニング建築」という言葉で数々の建物を甦らせてきた青木茂建築工房の手で、大半の部材を生かして建築基準法適合の新しい公共施設に生まれ変わったわけである。
この場所に、入口の大袈裟な唐破風は少々異様である。逆に歴史の重みと存在感を示している。金沢のひがし茶屋街のように、まちの景観ということになっているわけでないのは残念であるが、たとえ1棟であっても、これからまた新しい地域とのかかわりを作っていくことになるであろう。まだ緑も育っておらず、まさに建物だけで孤軍奮闘という感じがする。手前の駐車場には、交流館のフェンスに並んで、ネットフェンスが巡らされているなど、一時的なのかもしれないが、あまりにも不似合いで、描くことできなかった。
2階は、100畳の大広間。建築面積220㎡の総2階である。住宅規模で考えると、かなり大きな四角い箱ということになるが、付属棟も追加され、凹の字型の平面と拡大され、さまざまな活用が期待できる。木造ならではの建具回りの細かな細工も、昭和初期の味わいは、江戸時代からの連続性を感じることもできる。明治初期は、まだ海水浴で賑わう海浜であったと、上記の整備計画には説明がある。まさに落語の「芝浜」のその場所が、伝統文化に思いを馳せることのできる空間に、建物によって引き継がれている。