まちの中の建築スケッチ
第49回
晩香廬
——公園の中の離れ——
毎週、NHKの大河ドラマが渋沢栄一の生涯をドラマチックに展開しているが、新しい東京府で活躍しているときには、飛鳥山に居を構え、いまも当時が偲ばれるというので、訪れてみた。
JRの京浜東北線は、上野あたりから、王子までの間、ずっと進行方向左手に山裾を見て走る。右手は下町だ。上野の山から日暮里にさしかかると道灌山、そして田端を越えると飛鳥山という具合に台地が続いている。江戸時代には、庶民も訪れて花見や虫の声を聴く、見晴らしのよい丘で、明治に入って公園として整備されてきた。
王寺駅南口から出ると、階段を上って跨線橋に出る。左上には、新幹線、橋の下には、京浜東北線に沿って湘南新宿ラインと貨物線もあって、子供でなくてもいろいろな電車が見られて楽しい。跨線橋を渡ると飛鳥山公園の入り口で、長い階段を上る。
上りきったところの広場は、子供たちの公園。そして立派な紙の博物館が現れる。30年くらい前になると思うが、エディンバラからのご夫婦を案内したときは、駅の反対側にあって、小さな博物館だったように記憶している。1998年に飛鳥山公園の中に移設したのだという。
さらに進むと、旧渋沢邸は今はなく渋沢資料館になっている。そして、80歳の祝いに建てられた青淵文庫、そして77歳のときに建てられたという晩香廬が現れる。いずれも田辺淳吉(晩香廬時には清水組の技師、青淵文庫時は中村・田辺建築事務所)の設計によるもので、そのままの姿で見られる。広い庭に点在する離れでもあったということで、客をもてなす館として用いられていたことがわかる。青淵文庫は竜門社、晩香蘆は清水組から贈られたというのだから、いかに新しい会社が渋沢に世話になったのかが想像できる。
青淵文庫の前の広場は、テントが張ってあり、特設の屋外ランチ会場になっていた。土曜日ということもあり、けっこう賑やかな雰囲気である。晩香廬の方は、刈込の低木に囲まれ、周囲には巨木もあって、楓や桜は紅葉し、とても良い雰囲気で、室内にはクラッシックな椅子・テーブルがセッティングしてある。内部の見学は予約制というが、建物周囲からも覗けるようになっている。
100年を超える洋風茶室は、多くの賓客をもてなした。それぞれの人生のドラマが、晩香廬の中で語られたのだろうと想像した。