まちの中の建築スケッチ

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旧東京医学校本館-
——生き延びた明治建築——

旧東京医学校本館

現在の所在地は、小石川植物園の西南隅にあって正面が日本庭園という素晴らしい立地である。重要文化財にも指定され、東京大学総合研究博物館小石川分館として現役の建物である。建物としての歴史を見てみると、工部省営繕局の設計により、まだ東京大学となる前の医学校本館として本郷の地に明治9年に竣工したものという。後に東京大学の医学部本館となり、明治44年には平面が縮小され、またエントランス部の改築がされてほぼ今の形になった。関東地震も生き延びて、昭和3年には施設部の建物となり昭和40年に解体されたのであるが、昭和44年に現在地に移築されたとある。その頃の本郷は、筆者の学生時代であり、学生闘争の波に騒然としていた時期である。
実は、東京大学には32年間にわたり奉職し、その大半は本郷に研究室を持っていたのであるが、小石川植物園に足を踏み入れたのは初めてのことである。ロンドンでもワシントンでも何度か植物園を訪れ気持ち良い時間を過ごしたことを思うと、大学人としてもったいないことをしたものだと顧みている次第である。
本郷台地からは緩やかな谷を挟んで小石川の台地となるが、そこにある植物園は、もともとは江戸幕府の御薬園に養生所を置いた1722年(享保7年)に整備されたものが、ほぼ現在の敷地として引き継がれている。東西750mの細長い長方形で、南傾斜の低地には、池が散在している。東南隅に正門があり、そこからほぼ直線的に、メタセコイヤ林、水辺のハンノキ、萩園、梅林を抜けると、日本庭園の正面に堂々と構える建物が現れる。屋根は瓦ぶきであるが、1階壁面は白、2階壁面が赤茶色で主張しながらも大木に囲まれてしっくりと収まっている。
帰路は、落ち葉で滑りそうな坂を上り、台地の上を歩いて戻った。関東大震災時に避難場所を提供したことから「大震火災石」があったり、江戸時代の旧養生所の井戸やニュートンのリンゴの木なども見ることができた。最近完成したという温室は、残念ながら開館が3時までということで次回にお預けとなった。
屋根中央の時計台だった部分が、当初の外観から比べるとバランス的にやや小さい印象を与えるが、過去の歴史がこのような形で残っているということでもあると偲ばれる。移築されてこうして生き延びているということは、木造のなせる技と言えるかも知れない。

著者について

神田順

神田順かんだじゅん
1947年岐阜県生まれ。東京大学建築学科大学院修士修了。エディンバラ大学PhD取得。竹中工務店にて構造設計の実務経験の後、1980年より東京大学工学部助教授のち教授。1999年より新領域創成科学研究科社会文化環境学教授。2012年より日本大学理工学部建築学科教授。著書に『安全な建物とは何か』(技術評論社)、『建築構造計画概論』(共立出版)など。