まちの中の建築スケッチ
第53回
根津教会
——大正のころの景観——
建築はそれにまつわる物語があると景観要素としての価値が高くなる。もちろん、長く同じ外観で存在していれば、それを風景として見た人の数も多いので、まちの歴史の場面が人々の間に蓄積するわけだ。ヨーロッパでは、特に公共建築や教会建築がランドマークとなって景観を構成し、わがまちを感じさせる。日本の場合も、宗教建築は比較的寿命が長く景観となっているように思う。
すでに10年前になるが、函館教会(昭和6年(1931年)建設)の牧師松本紳一郎を訪ねたときに、「文化財礼拝堂再生物語」(鍋谷憲一編著2010年刊)を読ませたもらったことを思い出した。彼は、大学時代の親友で、大手企業の研究部門を退職の後、神学校に学び函館に赴任している。そして、築80年の教会建築をどのように維持管理できるか頭を悩ませていると言われ相談相手を務めたのだが、この物語は、さらに10年以上経つ、大正8年(1919年)の礼拝堂を補修改築した素晴らしい成功例として綴られたものだ。根津教会の鍋谷牧師も、大企業に長く勤められた後に牧師となり、根津教会に来られて、自ら施主として礼拝堂再生のポリシーを貫き改築竣工させたのだ。
ということで根津教会を訪ねた。地下鉄の根津駅は、学生のときも、東京大学の教員になってからもさんざん利用したのであるが、住宅街に足を踏み入れることはなかったので、今回その美しい姿に初めて接した。駅前の不忍通りは、15階から20階のマンションが立ち並んでいるが、一本中の通りに入るとまだ2階建ての住宅街である。そこに規模も住宅とあまり変わらない根津教会が建っている。かつてニュージーランドのアカロアという小さなまちの木造の教会が、やはり板張りの壁に塔の部分は三角屋根で十字架が載っていたことを思い浮かべた。
建築基準法の存在もあって、築90年の木造建築を大々的に改修することには、それほど簡単ではない。設計者も施工者も相当な苦労が居る。そのあたりが施主の立場で丁寧な記録として書かれている。設計者選定についてもデザイン・コンペを仕切り、施工者についても入札で選択して無事完成させた。その間の多くの物語が記されている。
「実は、田代(洋志)氏(設計者)のプレゼンテーションは最初から既存礼拝堂の保存修理を含んでいました。『90年もった由緒ある建物を、さらに50年、100年維持できるようにしたい』という言葉が誇らしげに語られていたのです」(上記p.50)このことが設計者選定の決め手となったようである。また、気配りの棟梁がいつも笑顔で頑張ってくれた話も述べられている。おしゃれな鉄製門扉のパターンにも味わいがある。
昨今、まだ使える建築を取り壊し、規模を大きくして新築するという話が多いなかで、長く使う文化を建築界からもっともっと発信すべきだ。スケッチをしながらも、まちの景観の一部として眺めると、建築は私有財産というよりは社会資産なのだという思いを強くした。