小池一三のブックリスト・ほぼ10日に1回
第1回
No.1『天路の旅人』
沢木耕太郎の『天路の旅人』が評判になっています。
本屋で装丁を見て、何か訴えるものがあり、年末に入手しました。
この著者の本は、若い頃にプロボクサーのカシアス内藤の『一瞬の夏』や、演説中に刺殺された日本社会党委員長の浅沼稲次郎と、その犯人である少年の交錯を描いた『テロルの決算』、最近では『深夜特急』などを読んでいて、生き方の純度の高さを描くノンフィクション作家として知られています。
今回の『天路の旅人』は沢木耕太郎にしか書けない世界と思われた一冊で、遙かなる未知の世界へと、私を誘ってくれました。
私は、ここ数年、左右の大腿部を骨折し、脚に金属が埋め込まれていて、転ぶと骨折してしまう状態にあるので、登山はもちろん、遠出し、歩き回る旅は諦めざるを得ない状態に置かれています。
けれども、この本に誘われて、主人公が内蒙古からチベット、インド、ネパールと、極貧の旅を続ける世界に、どっぷりと浸かることができ、久しぶりに興奮を覚えました。
私は西安に行ったことがあります。昔の長安です。
空港からの風景は、大地も、建物も、樹木さえも土色で湿気が失われた土地でした。空は真っ青でした。小一時間走ったら、城壁がみえてきました。北京の紫禁城を裏側からみた感じに似ていましたが、それよりも大きく感じます。
西安は、中国に現存する古代城壁の中で、最も保存がいいといわれてます。東西3.8キロ、南北2.8キロの大きさです。唐の時代に政治の中心地だった場所で、現在は城壁の外にあります。今の城壁は明代に築かれたもので、唐代のものは、今の10倍の大きさでした。阿倍仲麻呂がいて、仲麻呂は望郷の歌「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」を詠み、この地で生涯を終えました。仲麻呂が、この西安(長安)に足を踏み入れたのは19歳の年で、異民族出身の唐の官人として73歳で生涯を閉じるまで、彼はこの土地で過ごしたのでした。
西安の街を歩いていて、大きなイスラム寺院に迷い込みました。その日、信者のおばさんたちが、トヌルと呼ばれる釜戸で、生地を円盤状にのばしてナンを焼いていて、物めずらしそうに見ていた私に、「食べるかい」と声が掛けられました。ウイグル語がわかる訳ではないけど、意味するところを解し、ニコッと笑ったら新聞紙に包んでくれました。
焼きたてのナンは、外はカリカリで中はモチモチ、美味しそうに食べている私を見て、おばさんたちは手を叩いて喜び、嬉しそうでした。
ナンを頬張りながら門前に出て、西に延びる道を歩きながら、この道を歩き続ければ、やがて広大な大地と谷を縫って、砂漠のオアシスの町へと通じ、シルクロードとなって、遠くローマへと通じているのだと思いました。西安は、遥かなるシルクロードに向けての、イスラムの起点なのです。
西安からウズベキスタンのタシケントまでのバスツアーがあって、この旅のあと調べてみました。敦煌、ハミ、トルファン、ウルムチ、カザフスタン、キルギスを通る、いわゆる天山北路のバスツアーです。バスでの7泊の旅ということでした。
沢木耕太郎の『天路の旅人』は、天山南路の道に分け入る旅を描いていて、この本を読んでわかったのは、私がイスラム教のお寺でいただいたナンは、食事をとるというより、お茶の友という扱いのものだと思いました。
『天路の旅人』の主人公たちの旅では、とにかく頻繁にお茶を摂り、そのための燃料は、ラクダ・ヤク・ヒツジ・ヤギ・ウマなどの乾燥糞糞を乾燥させたアルガリで、アルガリの確保のために、主人公たちが血眼になる姿が幾度も描出されています。
それにしてもきびしい旅の連続で、この長編を読んで次第に頭を占めたのは、作者沢木耕太郎の、主人公・西川一三に対する思いの深さでした。
主人公は、第二次世界大戦の末期に、密偵として中国奥部に潜入するわけですが、旅を続け、険しい峠を越えるたびに、旅することそれ自体が自己目的であるような心境になって行きます。
筆者は、この主人公の行動につきあうことで、旅とは何なのかがほの見えてきて、主人公への共感が深まって行きます。この本は、ほとんど作者自身の思い入れの深さが、主人公と共に描き続けることの純度を得る「旅」だったのだ、ということを読者は知るのです。
分厚い本だけど、読了したとき、不思議な清涼感を感じた本でした。
次回は、松山巌 : 著『都市という廃墟』