びおの珠玉記事
第115回
[論] データ改ざんなど、不正・隠蔽が続出している原子力発電をどう考えたらいいのか?
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2011年03月16日の過去記事より再掲載)
東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々にお悔やみ申し上げるとともに、被害を受けられた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。
この文章は、2007年7月発行の「住まいを予防医学する本」に掲載されたものの再録です。
次々に発覚する臨界事故。話題の制御棒って何?
北陸電力志賀原発1号機で、1999年の定期検査中、制御棒が外れ臨界状態になっていたことが判明しました。
制御棒は、原子炉運転のアクセルとブレーキ役を担っています。それが外れると、炉内の制御が利かなくなる危険性があります。地球規模で放射性物質をばら撒いた旧ソ連のチェルノブイリ原発事故では、制御棒に欠陥があってブレーキの役を果たせませんでした。
今回発覚した事故は、それほど重大なことなのに、当時の記録すら抹殺する事故隠しを組織ぐるみでやっていました。この隠蔽事件をきっかけにして、トラブルの報告漏れやデータの改ざんが、他の電力会社についても次々と明るみに出ました。
2006年11月〜07年3月までに発表された改ざん件数は、東京電力だけで200件を超え、東北・中部・北陸・関西・九州電力も軒並み100件を超えます。デタラメもいいところです。
今回の事件発覚以降、連日流されていたオール電化のTVコマーシャルがぴたりと止みました。「エコ」の掛け声のもとに一方的に電力需要を拡大することを狙いとする宣伝攻勢と、原発問題が結びつくことを恐れての措置と考えられます。
現代日本は、電力の存在なしに社会活動が一日として成立し難いことは事実です。しかし、電力需要を抑制するのではなく拡大一方のやり方がいいのかどうか? 今回の事件は、もう一度冷静に立ち止まって考えるべきと警鐘を鳴らしているのではないでしょうか。
原子力発電に頼るだけでいいのかどうか、オルターナティブ—もう一つの選択肢があるのではないか。それを明らかにするのが本稿の目的です。
世界で起こった二つの大事故
原子力発電の第一の問題は、指摘されている危険性が、今日に至るも、何ら払拭されたわけではないということです。
これまで世界で二つの大きな原発事故が起きました。一つは1979年3月28日に、アメリカのペンシルベニア州スリー・マイル島で起こった事故です。この事故では、炉心溶融はかろうじて回避されましたが、同炉は、修復はおろか炉心損傷の調査さえ未着手という状態のまま現在に至っています。
二つ目の大事故は、先にも紹介したチェルノブイリ原発事故です。86年4月26日、旧ソ連ウクライナ共和国の北辺で起きたこの事故は、隣合わせのヨーロッパ各国に甚大な影響をもたらしました。この事故は、放射能汚染に国境がないことを教えてくれました。
この事故では、原子炉とその建屋は一瞬のうちに破壊され、爆発と引き続いた火災にともなって、大量の放射能放出が10日間続きました。
最初の放射能雲は西から北西方向に流れ、ベラルーシを通過し、バルト海へと向い、翌日にはスウェーデンで放射能が検出され、4月末から5月上旬にかけて、北半球のほぼ全域で放射能が観測されました。
被曝による影響で、二つの頭を持ったブタや奇形のニワトリが生まれたり、小児甲状腺がんの発生率が事故前の千倍に達したりするなど、そのおぞましさは想像を絶するものがあります。
この事故では、崩壊した原子炉と建屋をまるごとコンクリートで囲い込む石棺工事が施されました。現在、この石棺に多くの亀裂が入り、屋根の崩落が問題視されています。
炉内には170tもの核燃料が放置されていて、亀裂・崩落箇所から進入した雨や雪が、核物質の連鎖反応を助長して流出を促しています。これを修復するには7億5千万ドル(約790億円)の費用を必要としますが、資金不足のため、手付かずの状態が続いています。
厄介きわまりない放射性廃棄物
しかし、仮にこのような大事故が起こらなくても、原発が抱える難題として、高レベル放射性廃棄物(HLW)処分問題が未解決の状態にあることが挙げられます。
ほかの産業廃棄物と放射性廃棄物が区別されるのは、後者が有害な放射性物質を含んでいるからです。原子力発電所内の掃除で使った紙くず、布きれ、ビニールシートなども放射性廃棄物(コンクリートで固めたドラム缶に詰めて集中処分されている)ですが、厄介なのは高レル廃棄物です。
このゴミは、直円筒形のステンレス鋼製容器にガラス固化し、30〜50年間地上で冷却(地層や固体化物質に対する熱的制約の点から、処分する際の発熱密度に制限があって、処分前に減衰のため冷却)した後、地下数百mに埋設(地層処分)しなければなりません。「生活に影響を及ぼさないレベルまで下がるには、数万年という長い年月がかかる」ことを、当局すら認めています。現状は「30〜50年間地上で冷却」する時期にあたりますが、すでにその数は4万〜7万本のガラス固化体に達しています。
現在、最終(地層)処分場の「設置可能性を調査する区域」を公募しています。高知県東洋町が町長の独断で調査対象地に名乗りを挙げましたが、住民のつよい反発をかい、撤回しました。
使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出す再処理工場は、2007年秋から青森県六ヶ所村で運転を始める予定ですが、これも再処理した燃料を使うめどが立っていません。各地元自治体の了承が得られないためです。今回の一連の隠蔽事件で、忌避の流れはいっそう顕著となることでしょう。
地震列島だからこそ、安全性が大事
原子力発電の第二の問題は、日本は地震列島なのであり、原子力発電所が、果たして大地震に耐えられるのかどうか、という問題です。
北陸電力は、志賀原発1号機の設置許可を得る前に周辺海域を調査し、今回起こった能登沖地震の震源地周辺で、活断層4本を見つけていました。その想定震度は、M(マグニチュード)6.1〜6.6でした。しかし、現実に発生したのはM6.9の地震でした。現実が、想定の甘さを暴露してしまったのです。
人口が集中する首都圏・中部圏について、地震予知連絡会前会長茂木清夫東大名誉教授は、地球科学の国際学会で「直下でM8の大地震が確実に起きる原発は、浜岡が世界で唯一」と警告を発しました。
浜岡は、大地震が起こると液状化するとの指摘もあります。
静岡地裁は、市民団体による原発差し止め訴訟において、中部電力に対し、「浜岡原子力発電所の設計資料などをマスキング(白塗り)しないで提出する」よう命じる判決を下しました。この判決理由は「原発の安全性の確保は社会共通の要請」だからというものです。
中部電力は、この判決を不服として東京高裁に即時抗告しましたが、ディスクローズの時代に、ひた隠しにしていたこと自体問われなければなりません。
ウランの争奪戦は起こらないのか?
原子力発電の第三の問題は、原子力で使用されるウランは、化石資源と同じように、有限な鉱物資源であることです。最初に石油が枯渇し、続いて天然ガスがなくなり、その次にやってくるのはウランの枯渇だといわれています。
資源としての限界よりも、エコロジー的な限界の方が迫っていると指摘されていますが、これらの資源の調達はお金によって支配されますので、途上国は利用したくてもできません。つまり、原発は富める国だけに許された、アンフェアな性格を持ったエネルギーだということです。仮に富める国の経済援助によって発電所をインフラ整備したとしても、ランニングコストが問題となり、ウランを国際市場から調達することは、途上国にとっては、事実上不可能だということです。
つまり、原発が世界中に普及すれば、今度はウラン資源をめぐって苛烈な争奪戦が起こり、この「勝ち組」に入れる国は限られます。使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、再利用すれば争奪戦は起こらなくなるという説もありますが、これは俗説に過ぎません。何故なら、濃縮・再処理の施設そのものが、1970年に発効した核不拡散条約(NPT)による多国間合意によって、輸出に待ったがかけられているからです。
原子力は核兵器と結びついたエネルギーであり、平和利用だけに終わらない性格を持った技術です。北朝鮮・イラン問題が、そのことを如実に示しています。このように見るならば、原子力発電が世界中にあまねく普及することは、実際には不可能といわなければなりません。
もし、お隣中国で原発事故が起こったら?
原子力発電の第四の問題は、お隣の中国が電力不足を補うために原発増設に走っていることです。中国の原発は稼動中が10基、建設・計画中が9基ありますが、中国政府は2030年までに、100万kw規模の原発を新たに100基超建設するという青写真を明らかにしました(2007年6月現在)。凄まじいまでの原発建設ラッシュです。ブレーキがかかる中で、「世界に残された最大の市場」といわれています。「原発先進国」による受注合戦は、今後、熾烈を極めることでしょう。
日本もこの受注合戦に血道を挙げていますが、インフラ建設で仮に儲けを得たとしても、それが整備された後には、大量発生する放射性廃棄物と、ウラン資源の争奪戦が待っているのであり、このらせん状階段は、のぼり詰めれば詰めるほど矛盾を来たすことになります。
さらにいえば、中国の原発の多くは沿海部に集中しています。高度な技術を持つとされる日本でさえ危険視される原発を、拙速に建設することの不安は消えません。
もし中国沿海部で原発事故が起きたとすれば、大気には国境はなく、黄砂に乗って日本に「死の灰」がやってくることは必須です。海洋汚染によって日本海の魚が食べられなくなる可能性も否定できません。それは、日本が原発事故を起こした場合にもいえることですが……。
日本の治安関係者は、「原発はテロの対象になり得る」と指摘します。しかしその最大の抑止力は何かといえば、それは原発自体をなくすことであり、これ以上原発を増やさないことです。
日本のなかの「南北格差」問題
原子力発電の第五の問題は、過疎地に原子力発電所を建設し、送電線で都市へと運んで都市生活を保持するのは歪なことだ、という点です。これは、日本国内の「南北格差」といえないでしょうか?
原発がそんなに安全なら首都に建てればいいじゃないか、という過激な議論をする人がいますが、確かに原発の立地は「辺地」を好んでいるようで、この偏りを格差といわずして、何と呼べばよいのでしょうか。
ダム工事もそうですが、大きな公共工事に伴って、きまってガラスやタイルを用いた外観の役場や公共ホールや広い道路や橋がつくられます。それが果たして「豊かになった」ことなのかどうか?
川辺川ダムができると水没する熊本県五木村は、水没予定地の高台に立派な庁舎が建てられ、団地が整備されていました。しかし、村民の半数以上が離村し、かつての村は失われたも同然です。
原発は「市場原理」の優等生なのか?
『ソーラー地球経済』(岩波書店)の著者として知られる、ドイツのヘルマン・シェーア博士は、原子力発電への投資は信じがたいほど巨額であり、「そのごく一部が再生可能エネルギーに振り向けられていれば、直面しているエネルギー問題は解決できる」(雑誌『世界』岩波書店)と言います。
日本の電力会社は、ことあるごとに自然エネルギーは採算性が悪いと指摘します。しかし、政府の補助金なしに1kwも生産されなかったのは原子力の方であって、自然エネルギーだけに「コスト高」を言い立て、「市場原理」を押し付けるのは不公平といえないでしょうか?
地球温暖化対策として「新エネルギー利用特別措置法」が導入されました。しかし、電力会社の買い取り義務が「固定枠制」によって決められたため、普及ははかどりません。この方式だと、目標枠に限定されざるを得ません。
ドイツは「固定枠制」を取っていません。また、スペインの風力発電が世界第2位になったのは「固定枠制」を外したからです。逆にデンマークは「固定枠制」に切り替えたため風力発電の普及が一気に萎みました。政策の影響大です。
核兵器と結びつく原子力発電
原子力発電問題は、先にも触れましたが核兵器の問題と結びついています。
天然に存在する元素のうち最も重い元素はウランと考えられていましたが、ウランより原子番号の一つ大きい元素としてネプツニウムが発見され、続いて二つ大きい元素としてプルトニウムが発見されました。1940年前後のことでした。やがてプルトニウムは核兵器材料になることが分かりました。高純度プルトニウムは5〜10で原子爆弾となり、また水素爆弾の引金になります。
ウランはそれ自体ではほとんど利用価値がありません。原子炉の中へ入れてはじめてエネルギーとしての価値が生まれます。
現在、世界には「過剰殺戮(オーバーキル)」と呼ばれるだけの核兵器が蓄積されています。
核戦争が勃発すると、地球温暖化ならぬ「核の冬」が現出します。核戦争後の大火災の結果上空へ舞い上がる塵や煤が地球全体をとりまき、それが太陽光線をさえぎって起ると予想される寒冷化現象です。人為がなせる業の深さに思い至ります。