びおの珠玉記事

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3.11から1年を経て―― Passive and Low Energyへ

東日本大震災から12年が経ちます。耐震、エネルギーといった問題だけでなく、都市と地方の関係、地方の産業の問題などさまざまな波紋を起こしたこの震災を経て、今また原発頼りのエネルギー政策が進められようとしています。世論もエネルギー高を背景にそれを是認しかねない様相です。喉元過ぎれば熱さ忘れる、の極みと言えないでしょうか。12年前に私たちがどう受け止めていたのか、当時と、その後に記したものを再録します。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2012年03月10日の過去記事より再掲載)

浜岡原発

1.

あの震災から一年が経過しました。痛苦に満ちた一年でした。
昨日、宇都宮の吉田工務店・吉田悦夫さんから電話があり、放射能測定器を持って仕事をしている、という話がありました。宇都宮は、福島原発から140kmの距離にあるというのに、かくの如しということでした。

福島原発の一号機が水素爆発で吹っ飛んだとき、朝のテレビ番組で、「これは爆破弁による意図的な放出」だとコメントした学者がいました。この学者は、この番組にコメンテーターとして連日のように出演し、「メルトダウンは起こっていない」、「過剰な反応はすべきでない」というコメントを繰り返していました。
高級クラブのお酒の臭いが抜けない、慢性的寝不足司会者による、この番組を見る習慣はありませんでしたが、高木仁三郎さんが設立された「原子力情報資料室」が発信する情報に照らして、今日はどんな言い訳をするのだろうという「定点観測」のため、この番組を毎朝見ていました。司会者が「先生どうなんでしょうか?」と投げかけると、この学者は自信満々に三百代言をのたまわくのでした。
それらのコメントは、日を追って進行する現実の前に次々に崩れ落ち、このコメンテーターは番組から消え去りましたが、テレビ局も司会者も、今に至るも反省していません。

それにしても、この原発事故の影響は深く、広く、途方もないものです。
街の除染は進んでも、野山に堆積された放射性物質は、風に舞い、雨が降るたびに流れだし、国土と海洋の汚染を広げています。リスク論に立ち、事を冷静に判断して行く知力を持たないと、不安ばかりが肥大化します。
この国を巨大地震が再び襲う可能性は大きく、それは各地の地層が発している警告です。
もし浜岡で、福井で、伊方で、玄海で、同じような事故が起きたら、この国は一体どうなるのだろうと思います。放射性廃棄物は、如何ともし難い厄介なもので、仮に脱原発をはかったとしても、長くその処理に苦しむこと必定です。
町の工務店ネットは、2007年に発行した『住まいを予防医学する本』において、原発について14pにも亙る記事を掲載しました。浜岡原発に海側から潜り込み、写真を撮ったことが昨日のように思い出されます。

2.

3.11を前後して、新聞にいろいろな報道、論説、インタビュー記事が出ています。わたしが注目したのは山﨑正和のインタビュー記事(朝日新聞3/9朝刊)でした。
山﨑正和は、世評、右よりの論客だと言われていますが、『柔らかい個人主義の誕生』(1984年.中央公論)は、大衆を経済社会学的にとらえた好著です。絶対的に「欲しいもの」がなくなり、個人主義の進む中で価値が多様化した状況分析は見事なもので、それ以来、山﨑が書いた本は全部読んでいます。
山﨑は、このインタビュー記事で、震災の結果、日本人の中に無常観が目覚めるのではないか、と言っています。

「我々は決して盤石な文明の上に生きているわけではない。これだけ科学技術が進んでも勝てないものがある、人間というものは実に弱いものだ、という自覚です」。

山崎は、その無常観について、それは諦観ではなく、

「無常観を抱えたまま頑張るという不思議な伝統」のものだといいます。その例証として、山﨑は木場の貯木場を挙げます。
「江戸時代、金持ちや家主たちがここに大量の材木を常に貯木していた。火災は防げないが、焼けたら建て直す。大火は起きるものの。家は焼けるものという前提のもとに江戸を運営していたんですね」「震災を予期した無常観を抱えながら、極めて地道に一つひとつ前に進んでいく。そうやって生きていくと思います。」

この記事を読みながら、わたしは伊勢・せこ住研が進めている貯木倉庫のことが頭に浮かびました。そうしてまた、いろいろな困難を抱えながら、建築で何をやれるかに、地道に取り組んでいることを思いました。

3.

住宅業界に目を移します。
この一年の動きを見ると、節電をいいながら、メーカー主導による、電化に代表されるハイ・エネルギーへの傾斜と依存が目立ちます。さすがに「オール電化」は影を潜めたものの、カタチを変えた「オール電化」が進んでいるといえないでしょうか。
今、メーカー主導で進行しているのは、モノ・カルチャーのスプロール化(無秩序の拡大)です。住まいの本質への眼差しを欠いていると思わざるを得ません。
有明ビッグサイトの自動車ショーではHEMSが実演され、帰宅途中のクルマの中で、スイッチを入れれば暖房がONされることがアピールされ、まるでそれが新しい生活のように描き出されました。
電化の究極の姿はロボットと暮らす生活なのかも知れません。
週刊誌の記事で興味を持ち、ロボット・クリエーターの高橋智隆の『ロボットの天才』(発行:メディアファクトリー)という本を読みました。
この気鋭のクリエーターは、これまでの「人の役に立つロボット」という人間の代替機能から、ヒトと共に暮らす人間的機能を持ったロボットの時代がやってくると予言します。ロボットが、人とモノとのインター・フェースの役割を果たすようになる兆しとして、今メーカーがアピールするHEMSがあるのだろうか、と考え込みました。
共通しているのは、ロボットとHEMSは、破壊された後の地球というフレームの中のものだということです。どういうわけか“未来技術”は、自然界と隔絶された閉ざされた世界のものです。
住まいは、宇宙ステーションではありません。家族生活を営み、子どもの成長の場です。それは、自然との応答のなかで営まれるものであり、もし自然の破壊が進んでいるとしたら、いかにそれを食い止めるかに人類の叡智は発揮されるべきであって、破壊された後の“未来技術”だけを突出させるのは、イビツな話と言わなければなりません。
自然の脅威は、なるほど人知を超えるものですが、恵みをもたらしてくれるのも自然です。3.11の経験と教訓を活かしながら、自然に対する備えと恵みをより深化させることこそ、われわれが心すべきことと思われてなりません。

4.

ハイ・エナジー傾斜のなかで、わたしは、今こそロー・エナジーのあり方を示すべきだと思っています。
けれども、省エネ・低エネのロー・エナジーは、節約・貧・ガマンを連想させ、暗いイメージが付いて回ります。これに対し電気や石油などのハイ・エナジーは、文明が生み出した華であり、「明るいナショナル」というCFソングに見られたように、戦後の日本を引っ張る動力源でした。オイルショックなどで省エネが叫ばれても、それは一時的に耐え忍ぶべきことであって、喉元過ぎれば熱さを忘れました。
低エネ生活は、テレビを見ない、洗濯は手で洗う、掃除は箒を用いるなど、ケチなイメージがついて回ります。「清貧」として尊ばれたとして、現代人の普遍的な生活様態になり得ませんでした。そうしてわれわれは、電化生活に浸かってきたのです。
今、重要なことはハイ・エナジーよりも、ロー・エナジーの方がずっと素敵で、質的にも深く、健全で、生活の歓びが大きいことを示すことです。
 町の工務店ネットが「びおハウス」を掲げ、ケース・スタディ・ハウスに力を入れているのは、それを理屈ではなく、建築表現に高めるべきと考えてのことです。実現したい生活を、建築デザインとして示せば、人の目は、遠隔操作で空調を作動させるなどといった、愚にもつかない技術に向かわないでしょう。

われわれの決意は、Passive and Low Energyな住宅を、いかに生むかということです。建築の磁力によって、それを魅力に高めることがわれわれの仕事であり、殊にロー・エナジーがポイントになると思われました。

著者について

小池一三

小池一三こいけ・いちぞう
1946年京都市生まれ。一般社団法人町の工務店ネット代表/手の物語有限会社代表取締役。住まいマガジン「びお」編集人。1987年にOMソーラー協会を設立し、パッシブソーラーの普及に尽力。その功績により、「愛・地球博」で「地球を愛する世界の100人」に選ばれる。「近くの山の木で家をつくる運動」の提唱者・宣言起草者として知られる。雑誌『チルチンびと』『住む。』などを創刊し、編集人を務める。

連載について

住まいマガジンびおが2017年10月1日にリニューアルする前の、住まい新聞びお時代の珠玉記事を再掲載します。