物語 郊外住宅の百年
第4回
ロンドン:冬の旅
コッツウォルズ・バイブリー村を訪ねる
2015年暮れの12月、冬季休暇に入った26日に格安チケットでロンドンに向かった。この月にパリで大きな爆発事件があり、ウェブで航空チケットを検索したら、エールフランスの航空券が最安値であり、空いているはずだと踏んだのだが、機中は満員だった。似たことを考える人が案外いるものだと思った。
機中でシューベルトの『冬の旅』を聴いた。この歌曲の8分音符の歩みは、研ぎ澄まされた感覚がある。私は、この曲から悲しみよりも、いつも勇気を与えられる。
ヒースロー空港に降り立ったのは、12月26日の夜8時だった。クリスマスの翌日は、イギリスではボクシング・デーにあたる。格闘技のボクシングではなく、小説家チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』に描かれている、恵まれない人に贈り物をする慣わしの日である。この夜は空港ホテルに泊まった。
翌朝、GPS(全地球測位システム)付のレンタカーを借りた。画面と無味乾燥な声で、ライトキープ・レフトキープと指示されながら向かったのは、バイブリー、ケルムスコットなどコッツウォルズの村々だった。日本人が好きな、お決まりの観光スポットであるが、ハワードの背景には、コッツウォルズを愛したイギリスの思想家ウィリアム・モリスがいた。彼が住んでいたという家も見たかった。
「羊小屋のある丘」を意味するコッツウォルズの村々は、どの村もこじんまりしていて、ヒューマン・スケールのものである。バイブリーの村は、低地をコルン川の清流が流れ、番いの鴨が羽根を休めていた。外壁にはコッツウォルズ・ストーンが用いられ、屋根は板状に割った石が重ね葺きされたハーフティンバー1の家もあった。
◆コリン川の清流とバイブリーの村
モリスが「イギリスで最も美しい村」と称賛しただけに、まるで絵本から飛び出してきたような村である。建物は、家と家の距離感がほどよく、不規則な配置であるけれど連続性が得られていた。急坂を登り詰めたら、村の外には牧草地が広がっていた。バイブリーに着くまで、放し飼いされた羊の群れをあちらこちらで見かけた。天と地が響き合う農場に、羊の群れはよく似合う。
バイブリーは人気スポットだけあって、観光客でごった返していた。日本人ツアー客が大型バスで到着したかと思ったら、見学時間30分で立ち去った。民家と川辺の風景を背景に、自撮り棒でバシャバシャ撮りまくる韓国人の女性達がいた。売店で物色する中国人を何組も見かけた。彼ら彼女らは大きな声で喋り合い、ふざけ合っていた。救いは、売店が一軒だけだったことだ。
バイブリーを紹介したガイドブックには、ここには「手つかずの自然が残されている」と書かれていた。
この地球に人の手が入らない場所など、およそ残されていない。南北の極地も、ジャングルの奥地も、高地や地下深くも、深海も、人間の手が延びている。第一、「手つかずの自然」がある場所に、東アジアの観光客がウロウロしているのは変な話である。
フランス第三共和政を代表する知性として知られる詩人ポール・ヴァレリーは、「ある土地と、その土地に住む国民との間、大地の拡がり、輪郭、凹凸や河川の状況、風土、動物や植物、地味などと人間との間には、徐々に、相互的な関係が形成される。その国民がはるか昔から、その土地に定住していればいるほど、このような関係は多様となり、錯綜したものになる」と書いた2。
景観とは何かということを、これほど的確に表現した文章を、私はほかに知らない。
人は自然に働きかけ、破壊と建設を繰り返し、また複雑な歴史過程を通じて景観を形づくってきた。景観は、人と自然との長い応答の関係によって醸成されたものであり、ある日突然生まれたものではない。
大地を波打つようにうねるヨーロッパの農地は、一見すると、どこも同じように見える。けれども注意深く見ると、地域によって異なることが分かってくる。5月にイングランドやウェールズの農地では、白い花が咲くサンザシの生垣が目立つ。さらによく見ると、この生垣によって農地が網の目のように区切られていて、生垣の辺りに、ニレやトネリコの高木が生えていることが分かる。この生垣は、イギリスにおいて16世紀と18世紀に2回行われた土地の囲い込みを示す区割り線を示すものである。
第一次のそれは牧羊目的で行われた。毛織物工業の繁栄のため、需要の増大した羊毛をより効率的に生産するために導入されたもので、トマス・モアは、著書『ユートピア』の中で、これを「羊が人間を喰い殺している」と批判した。
第二次のそれは、ノーフォーク農法(休耕地を置かず、同一耕地で、かぶ→大麦→クローバー→小麦を4年周期による輪作法)などの高度集約農業の導入のために議会主導で行われたもので、これにより仕事を奪われた農民は賃金労働者になり、産業革命に労働力を供給した。
私は、イギリスの独立自営農民(ヨーマン。封建制度の崩壊で農奴身分から解放され、自立していった自作農民)のことを調べていてこのことを知り、賃金労働者に落伍したヨーマン達は、様変わりしたこの風景をどんなふうに見たのだろうと思った。
喧騒のコッツウォルズの村々に気分を害しながらも、ヴァレリーの言葉の重みを噛み締めたのだった。
(2)『ヴァレリー全集』12巻(現代世界の考察)「フランス素描」(鈴木力衛 訳、筑摩書房)