びおの珠玉記事
第17回
雑木林に足を運ぼう
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2015年09月23日の過去記事より再掲載)
「陰陽の中分なれば也」。昼夜の長さがほぼおなじ頃、秋分を迎えました。
秋分の七十二候は、
「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」
「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」
「水始涸(みずはじめてかるる)」
それぞれ、
・雷が鳴り響かなくなる
・虫が土の中に隠れて穴をふさぐ
・田畑の水を抜く
という意味です。季節が変わったな、と実感できることばかりですね。
ようやく屋外が気持ちの良い季節になってきました。秋の雑木林を散策してみましょう。
雑木という言葉
雑木とは、またずいぶんな言いようです。樹木は、種類によっては木材として価値を持ち、取引きの対象になりますが、雑木とは、そういった材料にはならない木を指すようです。
雑木林の代表的な樹種は、コナラやクヌギに代表される落葉広葉樹です。これらの幹はまっすぐではなく、枝も多いことから、建築の構造材としては利用されてきませんでした。
けれど、こうした木々は今もなお、人里近い山や公園にも多く見られます。
下の図は、環境省の里地里山保全・活用検討会議の資料から抜粋したものです。
これを見てわかることは、都市の拡大をはじめとする社会活動によって、森林材の選択的利用、つまり森で採れるもので使えるものを使う、という利用方法が減っていくことです。
縄文時代までは、森から得られるものを利用して、人は生活してきました。稲作が伝来する前は、ドングリ類が主食だったと言われています。ドングリ類とは、今では「雑木」とされているコナラなどの、ブナ科の木の実の総称です。ブナやコナラ、クヌギは落葉樹ですが、常緑のカシやシイもドングリをつけます。
こうしたブナ科の木は、燃やして燃料にも使われます。食料も採れて、燃料にもなるわけですから、「雑木」なんていう呼び方はまったく的外れです。
しかし、森林材の選択的利用は時代とともにどんどん減っていきます。都市化や農地開発、植林といった用途に場所を奪われていくわけです。その中で、現代(昭和)になると、「大規模拡大造林」という用途が見られます。これは、スギやヒノキといった、建築の構造材にもなる有用な樹種による人工林を作り、広げていこう、という国の施策でした。
この頃になると、石油エネルギーが一般化し、エネルギー源としての木材の価値は下がっています。かつて、食料とエネルギーを供給してくれたコナラやクヌギを含めた多くの木は、こうして「雑木(ざつぼく)」という不名誉な位置づけにされ、伐採されて宅地や人工林に変わっていきました。
それでも残った雑木たちはどうなったかというと、その多くは放ったらかされている、というのが現実です。
森林からの選択利用が生活の重要な要素だった時代と違って、森から何かを得なければ生活できない、ということはありません。食料はスーパーマーケットで手に入ります。お風呂はガスや電気ですぐに沸きます。森にいちいち入って、木を伐って薪をつくる、などという必要はなくなったのです。
つらい労働から開放された、バンザイ! …と、昔の人は思ったことでしょう。
けれど、人は勝手なもので、自然から離れた暮らしをしていると、やっぱり自然が恋しくなるものです。公園に雑木が植えられているのも、雑木林風の庭が好まれるのも、少し前まであった里山の風景を、直接・間接的に覚えているからではないでしょうか。
飽食、モノ余りの時代で、「断捨離」ブームも陰りを見せません。先の図でも、平成に入ってからは、「都市の拡大の沈静化」「集落構成員の高齢化」「里山放置の進行」という具合に、これまでの拡大路線とは明らかに違った流れが生まれています。
雑木林が近所に残っていたなら、足を運んでみてください。