ぐるり雑考
第30回
僕らのいったい何が違うの?
ハバロフスクから車に乗って数時間、クラスニヤールという村を訪ねたことがある。タイガ(大きな森)と呼ばれる森林地帯の、ビキン川の畔にある集落で、村人は森で狩猟生活を営んでいる。
滞在中にお祭りがあった。驚いたのは、この村では白人種(コーカシア)と黄色人種(モンゴリカ)が見事に入り交じっていたことだ。
西ヨーロッパから極東にまたがるロシアは、実は世界でも稀な多民族国家で、その傾向はとくに東部で顕著なのだとか。アジアのお婆ちゃんと、金髪美人が。西洋と東洋の違う顔立ち、違う肌色の子どもたちが、「多文化共生」といったスローガンのない世界でごく自然に交ざって暮らしていた。
でも考えてみると、中学や高校の教室も同じようなものだった気がする。外国籍の子が多かったわけではなくて、全員日本人。けど、鼻筋がネイティブ・インディアンのような○○君や、色黒で眉が太く南方系の××、立花隆さんを彷彿とさせるモンゴロイド面の△△、ハーフでもクォーターでもないのに女子をキャーキャー言わせていた洋顔の□□。思い返すと卒業写真は国際色溢れる一枚だ。で、どのクラスも学校も、割とそうなんじゃない?
アジアの縁に位置する日本には、大陸から辿り着いたモノ・技術・言語・人が集積してきた。海には黒潮という道があって、列島の南東側は環太平洋文化圏の一角でもある。つまり多民族・多文化の坩堝のような場所。
いま僕は月の半分以上を四国の山あいの町で暮らしている。ここにはこの町で生まれ育った人と、近年移り住んできた人がいる。
以前からいる人々は、なんらかの事情や性分などいろいろあって、高度経済成長期もその後もこの土地に残った「あまり動かない」人たちだ。逆に移ってきた人々は、同じくいろいろな事情や性分が手伝ってスッと腰を上げた、「よく動く」人たちである。
先の村祭りの写真を引き合いに出して「交ざり合って生きてゆこう!」とか簡単に言うつもりはない。クラスニヤールの彼らは、肌の色は違っても生き方はだいたい一緒。この町のみんなは、「あまり動かない」ことで人生を形づくってきた人と「よく動く」ことで展開させてきた人で構成されていて、肌の色は似ているけど、慣れ親しんだ生き方はだいぶ違う。
生まれや育ち、経験や価値観が異なる者同士の、山あいにおける出会いはこれからどうなってゆくかな。人と人は自然に混ざるし、ここで生まれる子はここの子どもたちだ。そんな僕らがともに生きてゆく社会は、どう顕現するんだろう。
わからないので、時間の中を一緒に歩んでみたい。それにやっぱり「〝いま一所懸命生きている〟という一点で同じなんじゃない?」「いったい何が違うの?」とも、思うんですね。