まちの中の建築スケッチ

51

ノアビル
——都心の丘の上のオフィスビル——

ノアビル

虎ノ門から国道1号線を飯倉に向けて車を走らせると、上り坂にさしかかり、正面に存在感のあるビルが現れる。遠くからでも楕円形の平面をしているということがわかる。基壇状の下部は煉瓦張り、上部は黒の金属パネルのノアビルである。丘の頂上のように見えるが、実は左右にさらに坂は上っていて、峠のような飯倉交差点である。
1月は何をスケッチしようかと思って2,3日前に、ノアビルのことが浮かんだ。すると、今朝のNHK Eテレの日曜美術館が白井晟一(1905-1983)であった。渋谷の松涛美術館で開館40周年記念白井晟一入門展を開催中でその紹介ということである。竹中工務店在籍時に、末席ではあるが、このノアビルと茨城キリスト教大学のチャペル「サンタ・キアラ館」の設計に少しだけかかわらせてもらったことがあり、一度は打ち合わせで、ご自宅を訪ねたこともあるのだが、白井晟一ご本人にお会いした記憶はないので、たぶん打合せはご子息とだったのかと思う。なんとなく暗い感じの住宅であった。
楕円平面は、白井の作品に多く登場する特徴的な造形である。都内のオフィスビルが、今や多くの超高層ビルとなり、ひと昔前のように、ただ四角いカーテンウォールのビルだけでなくなったこともあり、さまざまな主張をするようになっているが、その中にあって、規模こそ小さいが十分に存在感がある。
下層部の煉瓦は、煉瓦を割ったぎざぎざの破面が見える形で積んである。開口部は少ない。対比的に上部のなめらかな曲面の金属パネルは縦長の窓との区別も感じられない。また、裏側のコア部分を囲む外壁は、一見コンクリート面のように見えるが、アルミダイキャストのパネルである。正面からは屋上に飛び出ている部分が見える。
日曜美術館では、新鋭の映画監督が佐世保市の親和銀行本店の建物を訪れて、孤高の建築家白井晟一の作品を味わい、空間やインテリアに何度も「すばらしい。」という言葉を発していた。モダニズム全盛の1960年代から1980年にかけて、建築空間の質を考えて、材料を選び、形を描いた。白井に設計させようという建築主が居たことが、こうして今に作品として残っていることだし、建築をただ眺めるだけでもある種の興奮をもたらしてくれる設計のエネルギーを感じる。
飯倉交差点という敷地は、いやが上にも建物の存在を目立たせているが、十字路と言っても道が斜めになっていることもあり、信号や標識や路面の表示などがごちゃごちゃしている。加えて、なぜか知らないが、頻繁に警察の車が交差点に停まっていて、道路を半分閉鎖したりということがよくある。警察も、都市の景観とか考えてくれるとよいのに、と思ったりもしたのだった。