まちの中の建築スケッチ

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虎ノ門砂場
——ビルの谷間の木造建築——

虎ノ門砂場

今から30年くらい前になるだろうか。虎ノ門・神谷町界隈では、頻繁に高層建築や原子力関係の委員会が開催されて出席していた。大学内や建築学会も含めると30くらいの委員会に所属していたので、ほぼ毎日のように委員会に出ていた。たぶん原子力の委員会だったと思うが、あるとき帰り道で、S先生に「そばでも食べようか」と言われて一度入ったことを覚えている。仙台にお住まいだったので、帰りの列車に時間があったからかもしれない。
今も、車では、よく通る道でもあり、気になる建築だった。周辺はおしゃれな外装のビルで新しいまちなみになり、最近も大規模開発が進んでいる中で、木造2階建ての蕎麦屋が、交差点の角ということもあり、とても目立った存在になっている。交差点の対角からスケッチをした。コンクリートや鉄骨の四角い大きな建物に囲まれてけなげだ。
車も人も多く行きかう交差点であるが、お昼どきで外で待つ人も絶えない。スケッチを終えて食べに入った。中には10卓ほどあるが、二階へ上る狭い階段口には靴箱もある。手すりが自然の木の枝でおしゃれだ。午後1時を過ぎても、まだ外で待たされたりしている。サラリーマン風の人が多いが、中には、砂場を目当てにやってきたという感じのグループや、常連なのだろうか、一人で酒をたしなみつつゆっくり過ごしている人も見かけた。「ランチタイムは90分以内で」の貼り紙もあった。
聞けば大正12年の築だと言う。文化庁の登録文化財にも指定されている。
都心のど真ん中にあって、交差点に向かって45°の角度で、瓦の入母屋屋根を載せた木造下見板張りのお店は、けっこうな存在感がある。さすが100年の建築だ。
大阪屋砂場本店とあるが、砂場という名の蕎麦屋は、東京に何軒かあるようだ。もともと400年前の大阪城築城時に砂場でそばを出したことが起源というが、歴史をもつ蕎麦屋の流れの一つのようである。そういえば、関東の蕎麦屋の濃い黒いつゆでなく、少し甘めでカツオだしの香るつゆだった。
流山市に2006年から8年ほど住んでいたことがあるが、歩いて5分から10分くらいの距離にあった蕎麦屋さんが、その間だけで3軒も閉じてしまった。うなぎ屋は無くなり、寿司屋も閉まっている。いずれも老夫婦できりもりしていたお店で跡を継ぐものがいないということであるが、残念だ。ファミレスやチェーン店に押されたことも一因であろう。
虎ノ門界隈にもチェーン店のファストフードの蕎麦屋だって少なくないのではあるが、こうした大正・昭和の香りの残る蕎麦屋が残っていることは、東京が文化都市としての魅力を持つうえでも大切な存在のように思う。
そういえば、地下鉄根津駅前のうなぎ屋も寿司屋も無くなってしまったが、蕎麦屋の方が残りやすいのであろうか。そのまちの建築が残るか残らないかは、社会によるのであろうが、市場経済だけで動く社会は、食べ物も建物も魅力がなくなるように思った。