工務店の魅力を伝える仕事
第4回
社長の無茶振りに全力で応える
第1回で紹介した、長崎県諫早市にある複合施設「風の森」のほか、浜松建設が運営する複合施設はもう一つあります。南島原市の「風びより」です。 今回は、私が「風びより」のオープンに携わった時のお話です。
長崎県島原半島、その南端の南島原市は有明海の向こう側に熊本県を望むことができます。人口は5万人弱と小さく、雲仙普賢岳の災害を経験しました。その小さなまちに「まるは木材」という、現在の浜松建設のルーツでもある材木店があります。材木店ですが、建材商もしており、材木倉庫は10棟近くあります。そのうちの2棟を壊すことになったのは、今から10年前の2007年。濱松社長から、「村上さん。この材木倉庫なんだけど、人の集まる場所にしたいんだ。」と、当時別の会社にいた私に話が舞い込んだのです。
まだ、「風の森」の仕事を始める前のことですから、私も自由な感覚で、「この辺は、ちょっとコーヒー飲みたい、ゆっくりしたい、自分の時間が欲しいという時に、行ける場所がないですね。」「カフェとか雑貨屋さんとかあると楽しくないですか。」そんな、女子目線なお答えをしたのがきっかけです。社長の周りに、そんな発想や発言をする人がいなかったのか、社長の中でなにかピンときたのか、「じゃ、任せるよ。」と言われたのが、私の「風びより」での仕事の始まりでした。
ところで、皆さんは社長から「無茶振り」されたりしませんか? 私は、広報や企画という仕事をしている同業者の方とお話をするたびに、“社長あるある”の話題で尽きないのがこの「無茶振り」です。社長という仕事柄、孤高に試行錯誤し、やりたいこと、やらなければならないこと、心配事を常に繰り返し考えています。その中のやりたいことを社長自身で言葉にしながら自分なりに整理する時、企画や広報という仕事に就いている人かそれに近い人が聞き役となって、想像を形にするためのアイデアトークを求められることがあります。それは、とっても楽しいことであり、期待に応えられるかドキドキしながら、自分なりに想像を何倍にも膨らませられるチャンスでもあります。しかし自分の頭の中に、表現するために必要な沢山の情報が揃っていないと、アイデアも言葉も浮かんではきません。そんな時のために、何でもいいのです。沢山の情報を偏り無く自分に取り込み、常に情報収集するような習慣が必要で、いつもアンテナを張っていないといけないのです。要は自分の中で、興味のある引出しを沢山増やしておくこと。その情報も目で見て感じて確認しておくことがとても大切です。
話がそれて来ましたので戻しますが、今では「風びより」のことは「材木倉庫に人を呼ぶ仕掛け」という言葉でまとまりますが、当時はそんな計画的なことではありませんでした。こんな田舎で人が来るなんて、ましてや材木倉庫をどうしようというのか? という社内の不穏な空気は私にも伝わって来ており、社長が「任せるよ」と言った1ヶ月後には、倉庫の解体が決まり、社員は自分たちの会社の解体を行うことになってしまいました。
私は、大慌てで「これをまとめなければ!」と頭の中をフル回転。カフェを配置し、雑貨店や洋服店などのテナントスペースを企画し、イベントスペースを確保して、人が楽しくなれる、訪れたくなる場所、地域になかったものをラフスケッチに描いて、社長へプレゼンをしたのでした。まだ話もそこそこである段階から、計画についていろいろな人に説明をし始めていました。会社の役員スタッフ、テナント出店を予定している地域の皆さん、設計、施行スタッフ……。その時の、社長からの後押しが大きかったことは、後から気づいたことでもあるのですが、とにかく一心に「皆が訪れたくなる場所にしたい!」と、場所づくりへの思いがまとまったプレゼン資料によってテナントさんが理解をしてくれ、社長もその内容に満足していた様でした。
そうやって走り回って準備を進めた2ヶ月でした。もちろん、この「風びより」という名前を決めるのも、だいぶ悩みました。3つ4つの名前を提案して、社長の返事がなかなか返ってこず、いよいよ地鎮祭の日に「ここの建物の名前は何になりますか?」と神主さんとの打ち合わせで聞かれた時、社長が「風びよりです。」とポロリと言ったのです。私は、前日まで名前やコンセプトについて説明をして決まらなかったのでがっかり反面、どうするんだろうとハラハラしていましたので、この瞬間、拍子抜けしました。まったく社長とはこういうものかと思った瞬間でもあった印象深いエピソードです。