ぐるり雑考

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すごくあるけど、まるでない

空き家だらけの現在、これからはリフォーム市場だとか、新築の仕事なんてもうないぞ!と語気を強める人もいるけど、本当にそうなんですかね?

たしかに家はたくさんある。でも、まったくないとも言える。僕は自治体の「空き家バンク」のリストを眺めてときめいたことは一度もないし、不動産屋のファイルもたいてい苦渋の選択群です。100円ショップにはすごくモノがある、けど「まるでない」とも言える。この感じは、住宅においても同じだなと思うんです。

なぜこうなってしまったのか。たとえばいまの空き家問題は、「終身雇用制」と「核家族化」と「持ち家政策」の成れの果てだ。つまり国策の失態で、本来的に寿命の〝長い〟住宅という社会資本を、より寿命の〝短い〟個人や世帯の所有にしてきたから、一時的に内需は拡大できたもののこんな事態に至っている。
天然素材の家づくりとか、省エネとか、季節が感じられるとか。どれも大事な話だし、それだけでご飯何杯でもいけるんだけど、日本の住まいをめぐるより本質的なテーマは、住宅種の貧しさと、公営の賃貸住宅不足だと思います。

35歳前後/子ども2人の会社勤め世帯が、住宅ローンを組んでマイホームを建てる。という時代はとっくに終わっている。でもそういうサイズ・間取りの家ばかり建ててきたものだから、これから老いてゆく夫婦2人には大きすぎたり、以前は4名いたところが各1〜2名になって、しかし空間的な占有率は変わらないので、市街地の人口密度は減り、小商いは成立しにくくなり、インフラを縮小できないまま使用量だけ減って水道料金も上げざるを得ない、といった負の連鎖が生じてゆく。
これからどんな住宅種が要るのか?という議論が、社会にも住宅の業界にもないように感じています。『Casa BRUTUS』とかめくってる場合じゃないっつーの。>自分

次にその建て主について。公営住宅の社会整備率は、たとえばオランダは34%、オーストリアは26%もあるのに、日本は3.8%と極端に低い1
僕はいま築約120年の民家で暮らしているんですが、木造住宅の寿命はこのように長いし、長くあってこその社会資本なんだから、よりライフスパンの長い自治体のような主体が扱う方がいいのは自明の話だ。

なのに個人や世帯のものになっているから、「20年くらい使えればいい」とか「木は植えない」とか「メンテナンスフリーに」といったつまんない注文が並んで、家の中で着ているジャージのような住宅が増え、まちの景色は空虚になってゆくし、家を建てる仕事の面白味もなくなってしまうわけじゃないか。

とまあそんなことをブツブツ考えながら、徳島県の山あいにある神山町というまちで、新しい公営の木造賃貸・集合住宅をつくるプロジェクト2に、この2年ほどたずさわってきた。

大埜地住宅と鮎喰川コモン

大埜地の集合住宅

このプロジェクトの話はまた別の機会に。「いい家を建てましょう!」と語りかける相手を、多くの工務店は間違えていると思うんですよね。個人や世帯じゃない。一周まわって、自治体だと思います。

(1)『住宅政策のどこが問題か——〈持家社会〉の次を展望する』平山洋介著、光文社新書
(2)大埜地の集合住宅

著者について

西村佳哲

西村佳哲にしむら・よしあき
プランニング・ディレクター、働き方研究家
1964年東京都生まれ。リビングワールド代表。武蔵野美術大学卒。つくる・書く・教える、三種類の仕事をしている。建築分野を経て、ウェブサイトやミュージアム展示物、公共空間のメディアづくりなど、各種デザインプロジェクトの企画・制作ディレクションを重ねる。現在は、徳島県神山町で地域創生事業に関わる。京都工芸繊維大学 非常勤講師。

連載について

西村さんは、デザインの仕事をしながら、著書『自分の仕事をつくる』(晶文社)をはじめ多分野の方へのインタビューを通して、私たちが新しい世界と出会うチャンスを届けてくれています。それらから気づきをもらい、影響された方も多いと思います。西村さんは毎日どんな風景を見て、どんなことを考えているのだろう。そんな素朴な疑問を投げてみたところ、フォトエッセイの連載が始まりました。