ぐるり雑考

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文化的なたまり場というか

昨年10月、岐阜市の郊外にこんな建築が建った。目にした人は何だと思うかな。個人宅ではなさそうだし、商業施設ふうでもないし。保育園とか。新しい公民館とか?

羽島郡岐南町薬師寺,医療法人かがやき総合在宅医療クリニック,市橋亮一

医院です。でもいわゆる病院ではない。在宅の患者さんを車で訪ねて、診療と看護を行う訪問型の医院。「総合在宅医療クリニック」という名前。内科医の市橋亮一先生を中心に、右腕役の平田節子さん、あと看護師さんや事務方や、地域医療にかかわる人々が働いている。

手術室や病室で構成されていないので、オフィス部分の面積は意外に小さい。南から見ると1階の右半分くらいで、あとは「その他」。そこが面白い。

総合在宅医療クリニック、市橋亮一

総合在宅医療クリニック、市橋亮一

たとえば1階の左半分は吹き抜けのホール。リビングや食堂のようでもあり、訪ねた日は薪ストーブの温かさの中、スタッフがそれぞれのタイミングで食事をとったり、お茶を飲んだり、訪ねてきた誰かと小さな打合せをもっていた。

地域医療はいろんな職種のかかわりで支えられている。医師や看護師に加え、栄養士、理学療法士、ケアマネージャー、ヘルパー、ボランティアなどなど。フリーランスの働き手も多い。そのみんなが集まれる場として。
さらに患者さんの家族や、学校帰りの子ども、関連する分野のNPOの方々、ただの近所の人(「ただの」は語弊がありますが)。誰が入って来てもいいし使ってもらってもいい場として、奇跡の運用実験が展開中。

行政の公共空間ではない個人クリニックの一角なのだけど、同時に開かれたパブリックスペースでもあり、みんなで囲めるオープンキッチンもあって。ひとまず試みとして利用料ももらっていないし、信頼できる人たちには鍵も預けてみるとか(おそらく20個くらい。来年4月から)。すごいな。自治だ。

先日訪れると午前中の健康ウォーキングイベントが解散したところで、市の担当者さんが残った参加者と談笑していた。集合/解散場所にさせてもらえないかという相談に快諾したそう。「こんなふうに使ってもいい?」という問いかけが、ほどよくポンポン入ってきていると言う。

医院そのものの開業は9年前。元店舗物件を借りて、そこを拠点に訪問診療と看護を重ねてきた。でも次第に手狭になってきたのと、この器のままでは限界があるな……と感じた様子。Googleで「居場所」「デザイン」と検索して僕に辿りついたらしく、市橋先生と平田さんから連絡をもらったのが3年前。お会いして相談に乗った。
その後は、彼らの話を何度か聞いて、感じたことを伝え、思い浮かんだ情報を渡し、相性の良さそうな設計者を紹介して、あとは見守りモードに。自分の働きはそんな感じで、これを仕事と呼んでいいのか考えてしまうところはあるのだけど、この場所の価値とはあまり関係ない話なので本旨に戻ります。3年前に届いたメールにはこう書いてあった。

〝全国的にもまだ珍しい、在宅医療専門クリニックです。
地元の方々が気軽に立ち寄れる「町の保健室」「居場所」であり、
多職種のひとが相談に来られる「相談室」であり、
在宅医療の普及や教育を発信する「情報発信基地」であり、
全国各地や海外から視察や研修を受け入れる「学校」「キャンプ」でもありたい。〟

新しい建物に移ってまだ4ヶ月ながら、しっかりその通りになってきていて驚かされる。素晴らしい。というか、空間の力ってすごいな! とあらためて思った。みんなが「行ってみたい」とか「もう少しここにいたい」と思える居心地を空間がそなえているのは、本当に大切なことだ。

都市には、個人が一人でご飯を食べ、買い、過ごし、個人が個人のまま一人で生きてゆけるユーティリティが見事に揃っている。人はたくさんいるけど、バラバラなまま生きてゆける方向に整っていて、それは地方の暮らしでも同じく。で、「インターネットとAmazonと宅急便があればどこでも」とか言っちゃうんだけど、それでいいんですかね? 生きてはゆけるかもしれないけど、新しい動きは、そこからどれくらい生まれるかな。

アイデアとは既にあるものの新しい組み合わせだ。社会がいま新しいアイデアや動きや仕事を必要としているなら、それを担う組み合わせが要るし、組み合わせが生まれる機会が要る。たとえば人と人の。このつながりは生命活動そのものなので、それが育って展開してゆくには〝器〟が要る。文化的なたまり場というか。

今の社会には人をバラバラにするものがたくさんあって、つなぐものが、意外にないと思うんですよ。
でも、いろんな空間がその視点で造り替えられてゆくと、結果として多様なアイデアや動きや仕事が社会に姿を現してくると思う。現れざるを得ないだろう。たとえば駅をただの交通拠点でなく、文化的なたまり場にするには? たとえばオフィスをただ決まった仕事をする空間でなく、新しい試みをつくり出す環境に変えてゆくには? たとえば図書館を、たとえば魚屋さんを、たとえば住宅を。

書いてみて思うけど、この流れは既に始まっていますね。岐阜に生まれた彼らの場所も、その新しい星の一つなんだな。

*「アイデアとは、既にあるものの新しい組み合わせである」は、ジェームス W.ヤングの言葉。『アイデアのつくり方』(CCCメディアハウス)より。

著者について

西村佳哲

西村佳哲にしむら・よしあき
プランニング・ディレクター、働き方研究家
1964年東京都生まれ。リビングワールド代表。武蔵野美術大学卒。つくる・書く・教える、三種類の仕事をしている。建築分野を経て、ウェブサイトやミュージアム展示物、公共空間のメディアづくりなど、各種デザインプロジェクトの企画・制作ディレクションを重ねる。現在は、徳島県神山町で地域創生事業に関わる。京都工芸繊維大学 非常勤講師。

連載について

西村さんは、デザインの仕事をしながら、著書『自分の仕事をつくる』(晶文社)をはじめ多分野の方へのインタビューを通して、私たちが新しい世界と出会うチャンスを届けてくれています。それらから気づきをもらい、影響された方も多いと思います。西村さんは毎日どんな風景を見て、どんなことを考えているのだろう。そんな素朴な疑問を投げてみたところ、フォトエッセイの連載が始まりました。