ぐるり雑考

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みんな一所懸命

「ボストンマラソン」「女性」で画像検索すると、50年前、まだ男性のみが参加権を有していたボストンマラソンを走る一人の女性と、止めようとする男性、間に入って走らせようとしている他のランナーのすったもんだが出てくる。

僕はこの写真を、昨年11月の、熊本市議会に赤ちゃん連れで出た女性議員をめぐるツイートの中で見た。
つづくリツイートには、〝どの時代にも、身体をはって状況を切り拓いた人がいる。マラソンの世界では彼女の完走が、17年後のロサンゼルスオリンピックにおける初の女子マラソン・正式採用に実を結んだ。古い常識や慣習は誰かが打ち破らないとね〟といった論調で、パイオニア精神を讃える言葉が多かったと思う。

その事を思い出したのは、あるウェブ記事と、そこから生まれた小さな炎上にあった。
神奈川の県立高校が、校内の図書室をカフェとして開放。子どもたちの居場所づくりや、かしこまらない関与・相談を可能にしているという記事で(「教室に居場所がないなら、図書館カフェにおいで。田奈高校にある「ぴっかりカフェ」は生徒が安心できる校内の居場所」|soar )、しかし読んだ人たちの中から、〝本来図書室を必要としている生徒が排除されてしまうんじゃないか〟〝そもそも図書室とは……〟といった違和感や批判があらわれ、この数日物議を醸しているという。

自分が考える「図書室」を、大事にしたい人がいるわけです。

僕にも、図書室には大切な記憶がたくさんある。でも、それはあくまで僕個人のものだし、通っていた「あの高校」の「あの時代」の「あの司書さんがいたとき」のそれであって、普遍的な「図書室」なんてものがないことは了解している。

しかし〝本来……〟と語り始める人は、「ものごとは基本的にケースバイケースで、一つひとつ個別特殊解である」ことを了解していないんじゃないか。同じ調子で「普通の家族は」とか言い始めそう。言い切っていいと思うけど、普通の家族、なんてないですよ。
別の人が〝あそこがどんな高校か知っている近くの住民なら、この取り組みに納得できるんじゃないかな〟と書いていて、少しホッとした。やや特質のある子どもが多く通っている学校のようだ。

「本来○○は」と一般論を持ち出す人は、視野を狭めてしまっている。一方で、「凝り固まった常識や慣習は打ち破られるべき」と気炎を上げやすい人たちも、ちょっとどうかなと思う。
つまるところどちら側も、「自分とは異なる価値観や考え方を持つ人」への関心や想像力が足りないと思うんですよ。で、両方とも「ほんと信じられない!」とか言っちゃったりして(笑)。努力不足だと思います。

もし図書室の通念を振りかざしてくる人がいたら、振りかざしているその切実さが一体どれくらいのもので、どんなところから来ているのか、感じたり考えてみたい。
ボストンマラソンの写真でタックルしている男性は大会の理事だったようだ。この人も身体をはっていますよね。そこまでさせるものが彼の中にあるわけだ。「わたしのレースから出ていけ、そのゼッケンを渡せ」と叫んでいたらしい。

ちなみにこの写真で僕が好きな部分は、手前で笑っている別のランナーです。
同じ時代に、同じ道の上で、みんな一所懸命に生きている。ただそれだけのことじゃない(笑)という、最近の自分の気持ちを笑顔に重ねてしまう。
時間の上を一緒に「はあはあ」言いながら、みんなでどこかへ向かっている。それだけのことなんだから、できれば傷つけたり罵り合ったりしないで、互いに関心を持ちながら、走れるところまで走りたい。

著者について

西村佳哲

西村佳哲にしむら・よしあき
プランニング・ディレクター、働き方研究家
1964年東京都生まれ。リビングワールド代表。武蔵野美術大学卒。つくる・書く・教える、三種類の仕事をしている。建築分野を経て、ウェブサイトやミュージアム展示物、公共空間のメディアづくりなど、各種デザインプロジェクトの企画・制作ディレクションを重ねる。現在は、徳島県神山町で地域創生事業に関わる。京都工芸繊維大学 非常勤講師。

連載について

西村さんは、デザインの仕事をしながら、著書『自分の仕事をつくる』(晶文社)をはじめ多分野の方へのインタビューを通して、私たちが新しい世界と出会うチャンスを届けてくれています。それらから気づきをもらい、影響された方も多いと思います。西村さんは毎日どんな風景を見て、どんなことを考えているのだろう。そんな素朴な疑問を投げてみたところ、フォトエッセイの連載が始まりました。