ブックレビュー
愛着が湧く柱
『日本人とすまい』(上田篤、岩波新書、1974)は「屋根」や「柱」や「庭」など住まいの部位ごとに書かれた評論24本が載っている。「柱」を読んだ。階(キザハシ)や梯(ハシゴ)と同じく「離れたものへ渡すもの」を意味するハシを語源とする柱(ハシラ)である。
今年の夏まで、損害保険代理店の社員だった。火災保険は、おおまかに言えば建物の柱が鉄筋コンクリートか鉄骨か木骨かで保険料が変わる。駆け出しの研修生のころ、保険会社の社員さんと同行して横浜にあるバイク屋さんの物件を見た。一階建だったけれど天井の高い店舗だった。社員さんは見るなり
「鉄筋コンクリートだね」
と言った。私はびっくりして
「こんなに細くて鉄筋コンクリートなんですか。鉄骨じゃないんですか」
と訊いた。でも社員さんは
「建物が大きいからね。鉄筋コンクリートだね」
と繰り返し言った。
社員と研修生が同行して保険内容を説明した場合、説明責任はすべて社員にある。だから私は鉄筋コンクリートの料率で計算し契約した。
8月のお盆休み、バイク屋さんから「保険金の下りない契約をさせられた」とクレームがあった。前回同行した社員さんは休みをとっていて、私は一人で横浜へ謝りに行った。
「これコンクリートじゃないよ。鉄骨だよ」
と言って中東系のバイク屋さんは鉄骨の柱を蹴った。もう少しで死海に沈められるところだった。柱の苦い記憶である。
中学生のとき、先生から「おまえは林ではなく柱だ」と言われた。もしかしたら褒め言葉だったのかもしれない。
「俺は柱なのかもしれない」
私は恋人を撫でるように、教室の隅にある鉄筋コンクリートの白い柱を何度もさすった。柱の甘い記憶である。
柱というと諏訪の御柱祭が思い出される。ご存知のように、御柱祭は7年に一度寅と申の年に、樅の大木を16本切り出して木落し・川越し・里曳きののちに諏訪大社の4つの宮の四隅に建てて神木とするお祭りだ。なぜ神木を立てるのは分かっていないけれど樹木信仰が根底にあることは間違いないだろう。
古事記には天の御柱の話がある。淤能碁呂島に建てた八尋殿で伊邪那岐と伊邪那美が天の御柱のまわりを巡って日本列島を作った。 本書にも書いてあるが伊勢神宮正殿の床下中央には、天の御柱を模しただろう「心の御柱」が建つ。
上田篤はコルビュジェの言葉をもじって「日本の建築の歴史は、柱との格闘の歴史である」と書いた。だが、神話では、日本の創世記ではすでに「天の御柱」が建っていた。
他にも本書には「いまでも古い家では、柱に家神がやどるとされ、商家の大黒柱などでは、子供がこれにもたれることすらゆるされない」とある。そういえば神様や遺骨も柱で数える。木の生命をいただいて建てた柱、愛着が湧いた先はそんな柱の神格化なのかもしれない。
江戸時代の俳諧について書かれた『古句を観る』から柱の発句。
年々のもたれ柱や星迎 白雪
星迎は七夕のこと。一年に一回の七夕の行事にあたり、毎年その柱にもたれる。一年に一度だけ七夕の夜に彦星と織姫が出会うという神話があるが、この人は織姫に逢うかの如く一年に一度だけ柱にもたれるのだ。たぶん恍惚の表情で、もたれるだろう。
ここまで愛着を以て語られる柱はほかにない。あなたもこの人のように、今お住まいの家や実家に愛着が湧く柱はありませんか? 私はあります。(甲)