移住できるかな

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耕して食べたい

西本和美 移住できるかな

還暦を目前に、移住を決心しました。18歳で上京したのは進学の都合であり、しょせん東京は「仮の宿」です。移住先はどこでも良かったのですが、外せない条件が一つ。田畑を耕して食べる暮らしです。自給自足を目指すのではなく、できるだけ米や野菜を自分の手で作りたいと思いました。いわゆる「憧れの田舎暮らし」ですね。
ならば不動産屋で条件に合う物件を捜せばいい。しかしこれがなかなかの難業です。何が問題なのか? それは、私の求める土地の条件が「家のすぐ前から畑や田んぼが続く、昔ながらの小規模農家の構え」だからです。全国どこにでもある、ありふれた風景だと思う。
ところが最初に相談した自治体の窓口で、「それは、かなり難しい条件ですねぇ」と宣告されました。ありふれた風景はいま、急速に失われつつある風景でもあるのです。
そもそも移住を決心したきっかけは、長年楽しんできたベランダ菜園のフラストレーションです。我が家のベランダには、植木鉢がぎっしり並んでいます。食べた後のカキやアボカド、山で拾ったドングリやクルミ、野鳥が運んできた名も知らぬ草木。ミミズコンポストに野菜屑を投入して堆肥も作ります。しかし年々、木々は大きく育ち、窮屈そう。野鳥が飛来すれば階下から糞が落ちると苦情が舞い込む。せっかく作ったミミズ堆肥は、ほとんど捨てるしかありません。都会で実践する、ささやかな耕す暮らしの理不尽な現実。

ところで編集という仕事の役得は、さまざまな人と出会えることです。憧れの耕す暮らしについても、尊敬する人々と出会い、「不耕起栽培」や「パーマカルチャー」を知りました。
また各地の林産地を訪ねて、目を覆いたくなる現実を知りました。治山治水は国土の要。健やかな森林が水を涵養し、田畑を潤して集落を養う。そんな営みがいま崩壊しつつある現状を目の当たりにしました。
黙々と、耕す暮らしをしよう。一人が耕す土地には限界があり、小さな点でしかありません。でも、同じように耕す人が増えれば、点は線となり、やがて面となる。
というわけで、ほんの少し高邁な「志」を上乗せしました。それゆえに、移住計画の悩みは尽きません。