暮らしの時代
美術・デザイン・建築 –– 味岡伸太郎の仕事
人々の「暮らし」の様相が、その時代を象徴する風景となるとき、その暮らしがどのように作られたのか、想像したことがあるでしょうか。
時代ごとにあるべき「暮らし」を描き、美を添えてきた達人たち。彼らの仕事によって、時代はつくられたとも言えます。
では、「暮らしの達人」の仕事とはどのようなものなのか。
シリーズ初回は、領域を横断的に活躍するアーティスト・味岡伸太郎氏を、住宅業界に長く携わる編集者・中村謙太郎さんが尋ね、味岡氏がもたらした「暮らしの時代」の輪郭を浮かび上がらせます。
Vol.4 地域から発信する意味
地域からの発信
味岡は自身の拠点を豊橋から動かしたことがない。
近年は、自らが発行人兼編集者となり、地域出版に力を入れている。
「母親の実家がある愛知県北設楽郡の花祭りが、日本で初めて無形文化財になったお祭りで、その様子を一冊にまとめたはずみで、他にも残しておきたい民俗資料がいっぱい出てきたんです。東京の出版社では販売部数の見込みがたたないと出せないし、ならば自分たちでやるしかないと」。
味岡が起こした出版社「春夏秋冬叢書」は、単行本の他、“東三河&西遠・西三河・南信 応援誌”と銘打った季刊誌『そう』を刊行し、味岡が発行・編集人を務める。
しかし、こうした活動は、単なる郷土愛とは違う。
曰く「ただ、その美しさがどこでも通用すると思うから残したいだけです」と。
その言葉に嘘はない。誌面を開くと、写真、イラスト、そして文字の絶妙な配置が、取材対象の美しさを鮮烈に伝える。もちろん文字は全て味岡がデザインしたものだ。
味岡の娘2人も、一連の出版活動に深く関わっている。写真家の宮田明里と、イラストレーターの宮田香里だ。
父がデザインした文字について宮田香里は、「私の絵を引き立たせてくれる文字です。文字によって画面が変わりますから」と太鼓判を押す。まさに理想のコラボレーションだ。
2007年に刊行した『花頌抄(はなしょうしょう)』では、味岡が生けた野の花を宮田明里が写真におさめ、豊橋在住の俳人・星野昌彦が句を詠んだ。
これは2006年3月から14カ月の間、毎月曜日に行っていたもので、1200を超える総点数の中から400点を厳選。
そこでの味岡は、瞬間のインスピレーションを自らの手に委ね、花に鋏を入れ、花器に投げ入れる。
その鮮烈な美しさを、宮田明里の写真と星野昌彦の句が、一層際立たせる。
花、写真、句、それらを統合するデザイン。もはや、視覚表現と言語表現が結実したという意味で、舞台や映像とは違った総合芸術の一形式と言うべきではなかろうか。
ぜひ全国の人に、見ていただきたいものだ。
手の物語が開発した新しい現場シート「町角シート」には、味岡、宮田香里ともに図版を提供している。
地域に居続ける意味
なぜ豊橋に居続けるのか、と味岡に問うてみた。
「まず幸運だったのは、豊橋にいながら、山口長男さんや井上有一さん、そして彫刻家の飯田善國さん(1923~2006年)に、若い頃出会えたことですね。それは大きかったと思います。
それでも、仕事がにっちもさっちもいかなかったら東京に出たと思いますが、たまたま生活できたし、困ることはありませんでした。
むしろ東京に出ていたら、日々のデザインに追われて書体のデザインもしなかっただろうし、逆に書体のデザインを始めてから東京に出たら、書体のデザインしかやらせてもらえなかったのではないかと思います」。
味岡にとって東京に出る必然性がなかったし、豊橋に居続けたからこそ、ジャンルの壁を越えて自由な活動が出来たのだ。
当然ながら、東京に出ていたら、土による作品を制作することなど、思いもよらなかっただろう。
“美”とは何か?
これまで幾つかの場面で出てきた“美”というキーワードについて味岡に聞いてみた。
すなわち、“美”とは何か、と。
即答が返ってきた。
「人を突き動かすものじゃないですかね。
たとえば、人がお祭りに駆り立てられるのは、そこに美があるからでしょう。踊りたくなるのもその場が美しく、衣装が美しいから、というのがあるだろうし。古き良き時代の人の心も残っている。その力が美なんだろうと思う。
それは美術にしてもデザインにしても、一つの基準です」。
そう、美術もデザインも、何かを伝えるという意味では同じ。
そして、伝えたい究極のものは“美”。しかも人の手が紡ぎ出す“美”なのだ。
(終わり)