びおの珠玉記事
第2回
「餅」これぞハレの日の食べ物
(2010/01/05の過去記事より再掲載)
餅こそ、ハレの日の食べ物
旬ナビでは、さまざまな「ハレの日の旬」を紹介してきましたが、正月の餅ほど、「ハレの日の旬」に相応しい食べ物はないでしょう。
そう聞くと、疑問に思う方もいるかも知れません。
餅って、別に高価な食べ物ではないですよね。お正月にはどこの家でも食べているし、スーパーにいけば切り餅も年中売られています。
ただ高ければいい、珍しければいいのではありません。「ハレの日の旬」を考えるときに、どうしても欠かせない民俗学の考え方があります。
ハレの日・お正月
ハレとケとは、民俗学者の柳田國男が見出した、日本人の世界観です。ハレ(晴れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)はふだんの生活である「日常」を表します。
現在では年中行事もすたれてきましたが、正月だけは特別である、という風潮はまだまだ健在です。
餅つきをしていますか?
餅つきは、年神を迎えるための正月に欠かせない行事でした。
現在でさえ祝われている正月ですから、かつては最大の年中行事として年末から準備が進められてきました。
正月は、年神を迎え、新年の安泰と五穀豊穣を祈願する、農業中心の日本社会に深く根付いたものだったのです。
「すす払い」で年神を迎えるために家を清め、「歳の市」で正月用品を準備し、「餅つき」をする、というのが、少し前までの正月の迎え方でした。
すす払いは大掃除という形で現在に残り、歳の市も、本来の目的とは変わって、年末の安売りセールと化しています。餅つきも、自宅で臼と杵を使って、という家はほとんど見かけなくなり、餅は、買ってくるか、電気の餅つき機で作ることが多いようです。
では、どうして「正月に餅」なのでしょうか。
餅とはなんなのか
餅の語源は諸説あり、持って出る「持ち飯(もちいい)」、粘る「黐(もち)」という説もあれば、「毛知比(もちひ)」という記述のある文献もあります。「もちひ」は「糯飯(もちいい)」が語源です。
餅は古くから、神に供える食べ物でした。奈良時代には、読経供養料として餅が使われたといいます。
正月だから餅、というわけではなく、古くは正月意外にもさまざまな年中行事で餅が使われてきたのですが、年中行事が廃れて行く中で、正月の餅は踏みとどまっているわけです。
餅とお年玉の関係?
お年玉は、「タマ(魂)」に通じ、古くは餅だったとか。柳田の研究には、餅に関する興味深いものがあります。
お年玉といえば、近年では子どもが正月にもらうお小遣いを指すようになっていますが、元来お年玉は餅だったのです。
小餅をつくり、家長が家族の一人ひとりに配当する風習が、お年玉の始まりといわれています。
この餅は、年神から賜るもので、お年玉の「玉」は、「タマ(魂)」に通じ、それを食べることで、生命の更新を図ろうとした、という説です。
鏡餅の形も心臓を模していたもので、それは「タマ(魂)」を象徴するもので、それを食べることでタマを補充することが必要、と考えられていたのです。
また、餅は自由に造形出来ること、色が白いことにも意味があると柳田は考えていました。そうした造形から鏡餅のようなものが生まれたこと、また、白という色は、工業技術が発達する以前は、人為的につくるのが非常に難しい色であり、それ故に忌避されることもあれば、神をよりつかせる清浄性をもつ色とされてきました。
このように、餅は神への供物として、古くから日本人に親しまれてきました。
神人共食と餅のもつ社会性
神人共食(しんじんきょうしょく)とは、神とともに食事をする、あるいは神の食べたものを自分も食べることにより、その力や利益を得ようというものです。
正月の餅は神に供えるものですから、その餅を食べることは神人共食であり、さまざまな願いがこめられてきたのでしょう。
直会
直会(なおらい)は、神事のあとに、供物を参加者が飲食する、神人共食の一つといえます。直会の風習は各地に残っていて、家の上棟式のあとにも行われます。けっしてただの「打ち上げ」ではないんですよ。
上棟式では餅をまく地域が多く、餅まきには近所の人が集まります。これも神事の名残です。火事につながるからということで、上棟式の餅を焼くのはタブーとされています。
餅はこのように神事に用いられてきましたが、一方で社会的な意味合いも持っていました。
かつての年中行事のなかでは、餅の贈答が多く行われていました。特に、家ごとに日が異なるような農耕儀礼の場合は、餅の贈答行為によって近隣の人に経済状況や家族の状況を知らせる、といった機能もあったのです。
餅配
餅を配ることは、社会的地位の確立や、同一性の保持のためなどの意味があったといわれます。
贈答になぜ餅が多く用いられてきたのかには諸説あります。
同じ火で調理し、それを一緒に食べて一体感を得る、ということは古くから行われてきましたが、社会的に一箇所に集まるのが難しくなってきたため、同じときにつくった餅を配ることで、一同に集まり食事をすることのかわりとしたのではないか、という説があります。
そういえば、餅は正月だけでなく、さまざまなときに配られますね。
餅は神と人をつなぎ、また人と人とをつなぐツールでもあるのです。
雑煮の話
さて、正月の餅といえば、雑煮ですね。
いろいろなところのお雑煮紹介は、びお編集委員の玉井さんが2007年のお正月に「わがやのお雑煮大会」という企画を行い、そこにいろいろなブロガーのお雑煮が紹介されています。ぜひご覧下さい。
MyPlace:わがやのお雑煮大会
http://myplace.mond.jp/myplace/archives/000350.html
旬ナビマップには、全国お雑煮マップを掲載しました。
北海道や沖縄にはかつて雑煮文化はなく、今の北海道での雑煮は、移り住んだ人たちが持ち込んだものです。沖縄では雑煮ではなく、豚汁が正月のお祝いの料理です。
また、このマップにはありませんが、正月の三が日は餅を食べない、という地域もあります。これは、餅は神様の食べ物であり、三が日は神様が食べているので人間は食べてはいけないという考えでしょうか。
東の角餅、西の丸餅
多少の地域差はありますが、大きく分けると、東日本は角餅、西日本は丸餅が主流です。
お雑煮は誰もが自分の生まれ育ったところのものがあたりまえだと思っているようで、他所のお雑煮を見るとびっくりすることが多いですね。これは何も最近に限ったことではなく、江戸時代にはすでに東西で雑煮にかなり違いがあったようです。
丸餅は神様からの賜り物、いっぽうの角餅は、ついて伸ばしたあとは切ればよいので、大量生産に向いているといえるでしょう。ここに東西の違いが出ている、と考えるのは早計かもしれませんが、自分の地域の雑煮の由来を考えてみるのは、とても興味深いことですね。
柳田は雑煮について、最大の年中行事に食すものに「雑」の字を使っていることは考えにくいとして、どこかで何かと入れ替わったのではないかと言っています。たしかに、雑煮とはいっても、地域によっては餅だけだったり、餅と菜だけのシンプルなものもあり、「ごった煮」のイメージがある「雑煮」という言葉が似あわないものもたくさんあります。
雑煮の地域名を見てみると、「ノーリャー」「オノウライ」「ノウレェー」など、「直会(なおらい)」から来ていると思われるものもあり、やはり雑煮は神事と結びついていたことが想像出来ます。
正月だからとあたりまえのように食べていた雑煮にも、こんな歴史があったのですね。
もう小寒に入りましたが、ほとんどの地域では、鏡開きはこれからです。
お餅を食べるときに、ちょっと思い出してみてほしい話でした。
餅と日本人(安室知著 雄山閣出版)
日本の「行事」と「食」のしきたり(新谷尚紀監修 青春出版社)
餅(藤田秀司著 秋田文化出版社)