<遠野便り>
馬たちとの暮らしから教わること

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9月:みのり

馬の<野生>、人の<野生>

さて。昨年の10月から月に1回、筆者が暮らしている岩手県の遠野という地域の四季折々の風景とともに、そこでともに暮らしている馬たちのことを書いてきました。タイトルを「馬たちの暮らしから教わること」としたように、できるだけ馬たちが前面に出て、人物や人の暮らしの風景はあえて背景にとどまるようになればいいなと思ってきました。

1年がぐるりと回ったこの回でひとまず馬との暮らしのあれこれのお話を閉じようかなと思います。

皆さんに伝えたいことがあったとすれば、馬にかぎらず、ほかの動物たちとの付き合い方を模索し学ぶことは、私たちが生きる時間を豊かにしてくれるということです。以前、『びお』の初代編集長の尾内志帆さんらが中心にとなって編集・発行してきた遠野市のフリーペーパー『へいいプレス(Heii Press)』に、「既知の<外>へ」と題し、やや気負い気味に馬との関係性の<未来>について最後に考察しました。けれどもこの12ヶ月で皆さんと共有したかったことは今も変わりません。最後の部分を書き換えながら再掲すると、こんなふうなことを今もなお伝えることができたらと思っています。

家畜化されて久しいとはいえ、馬はいまなお<野生>を失うことなく色濃く保持しているといわれています。私たちは、馬の野生を削いだり殺したりするのではなく、私たち自身が彼らの野生にふさわしい精神と身体を獲得するというアプローチを選択しようと考えています。そうすることで初めて、人間の側も内なる<野生>を回復することができると思うからです。それを通して人間の文明の閉塞状況を打破する突破口が見つかると、大袈裟でなく考えています。馬の<野生>との出会い方は原理的にはシンプルですが、実際には、人の心に強固に備わる優位性や支配性をベースにした先入観が邪魔をして最初はとても困難です。そして人より劣ると決めた馬に対して、意図を持ち指図をしようとします。けれども優位性と支配性に基づいたその意図は、馬の野生の力を削いでしまうと同時に自らの野生の力を消してしまうエゴにほかなりません。いまだ野生を失っていない幼子のような純真さと油断のなさで馬たちの群れに入っていくこと。そうやって初めて馬の<野生>との対話が可能な時間と空間が現れると思うのです。

季節は巡り、秋が深まってきました。来月になると紅葉の季節を迎え、そしてまもなく森はすっかり落葉し、2ヶ月後には雪の便りも届きます。馬たちは、今、秋風吹く高原の抜けるような青空のもと、日がな草を食みつづけています。そうやって皮下脂肪を蓄え、被毛を冬仕様に変え、来る寒さの季節に備えています。まさに9月は天高く馬肥ゆる季節です。私たち人間も、北国の山里の長い冬を過ごすための準備を少しずつ始めたいと思います。また馬たちとともにお会いしましょう。それから。いつか馬たちに会いに来てください。

遠野クィーンズメドウ・カントリーハウスの馬

「この1年間、四季折々の僕らを見ていただきありがとうございます。そしてまたいつか、野で山で実際にお会いましょう。」アル(左)、サイ(右)

著者について

徳吉英一郎

徳吉英一郎とくよし・えいいちろう
1960年神奈川県生まれ。小学中学と放課後を開発著しい渋谷駅周辺の(当時まだ残っていた)原っぱや空き地や公園で過ごす。1996年妻と岩手県遠野市に移住。遠野ふるさと村開業、道の駅遠野風の丘開業業務に関わる。NPO法人遠野山里暮らしネットワーク立上げに参加。馬と暮らす現代版曲り家プロジェクト<クイーンズメドウ・カントリーハウス>にて、主に馬事・料理・宿泊施設運営等担当。妻と娘一人。自宅には馬一頭、犬一匹、猫一匹。

連載について

徳吉さんは、岩手県遠野市の早池峰山の南側、遠野盆地の北側にある<クイーンズメドウ・カントリーハウス>と自宅で、馬たちとともに暮らす生活を実践されています。この連載では、一ヶ月に一度、遠野からの季節のお便りとして、徳吉さんに馬たちとの暮らしぶりを伝えてもらいながら、自然との共生の実際を知る手がかりとしたいと思います。