びおの七十二候

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鴻雁北・こうがんかえる

晴明次候・鴻雁北

鴻雁北は、こうがんかえると読みます。
10月に、鴻雁来こうがんきたるがあります。寒露の初候に雁はやってきて、清明の次候に北に帰って行くのですね。
雁の枕詞まくらことばは「遠つ人」です。どこからやって来るのか、それは北の方から、遠くからやってくるということでしょう。
清明の初侯は、玄鳥至つばめきたるでした。雁が北に渡っていき、つばめがやってきて、空の主役が交代します。

今候の句は、富安風生とみやすふうせい

春の雨街濡れSHELLと紅く濡れ

という句です。
春雨を詠んだ句は、艶なる情趣に彩られる句が多いのですが、この句は妙にモダンです。SHELLとは、そうあの石油メジャーの一つ、ロイヤル・ダッチ・シェルです。この句は1941(昭和16)年に詠まれています。この年の12月に日本軍は真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入します。
どうでもいい話ですが、シェルのトレードマークであり、今も世界中のガソリンスタンドの看板になっているホタテ貝のマークは、当初ムール貝だったそうですね。
シェルは、1833年にロンドンに開店された小さな骨董品店に始まります。当時、カスピ海から輸入した貝殻が人気を博し、輸出入業へと乗り出し、そしてボルネオ島の油田開発に成功し、今ではオランダのハーグに本拠を置く世界第2位の石油エネルギー企業となりました。当初、貝殻を販売していたことからムール貝をマークにしていましたが、出資者の家紋がホタテ貝だったので、今のマークになったとか。
昭和16年のガソリンスタンドは、都市を彩る点景だったのでしょうね、きっと。風生はもう一句、ガソリンスタンドを詠んでいます。下の句は昭和9年に詠まれた句です。

ガソリンの真赤き天馬春の雨
退屈なガソリンガール柳の芽(昭和9年)

余程、ガソリンスタンドが好きだったようです。
富安風生は、「ホトトギス」派を代表する俳人の一人です。と同時に逓信省ていしんしょう(その後の郵政省)の事務次官を務めた役人で、電波管理委員会の長として、時のワンマン宰相・吉田茂に楯ついて職を辞したことで知られる反骨漢でもありました。

風生と死の話して涼しさよ  高浜虚子

虚子にとって風生は弟子でありましたが、「死の話」を交わす仲だったわけで、虚子にとっての存在の大きさと、風生の涼やかな風姿がうかがえます。

むつかしき辞表の辞の字冬夕焼け  風生

この句には「電波管理委員会委員長を辞す」の前書きが記されています。

みちのくの伊達の群の春田かな
よろこべばしきりに落つる木の実かな
舟ゆけば筑波したがふ芦の花
胸中に抱く珠あり空ッ風

初期の頃の句もいいけれど、晩年に詠まれた老いの句が、どれも秀逸です。
わたしは、最後の「胸中に抱く珠あり空ッ風」という句が好きで、友達への手紙などの末尾にしばしば引用したものです。

文/びお編集部

清明・タケノコ

祖父江ヒロコタケノコごはん、煮物、木の芽あえ、お味噌汁。。。

タケノコは、言わずと知れた竹の若芽です。成長が早く、収穫できる時期が限られる、旬の食材の典型例です。なんといっても、旬の上に竹と書いて「筍」です。

とはいえ、水煮は通年出回っています。多くの水煮は、中国産のタケノコです。
国産タケノコが出回る今の時期と比べてみると、値段がずいぶん違っています。

そうしたこともあってか、国内消費量の9割近くが輸入品です。

タケノコに限らず、竹は古くから、様々な用途に使われてきました。

ざる、籠、箸、串などの生活用品や、団扇や扇子、ヘラなどの小物類。
竹馬、竹とんぼ、笹舟、凧、竹刀、竹笛、竹炭、竹徳利。
竹槍や弓矢などの武器にも使います。門松や七夕といったおめでたいときにも出番があります。
垣根や床柱、樋や竹窓など、建築にも多く使われます。桂離宮には、竹があらゆる箇所に使われています。桂離宮を見て「泣きたくなるほど美しい」と述べたブルーノ・タウトが日本に残した建築にも、竹張り壁や竹の手摺だけでなく、様々な箇所に竹が用いられています。

まだまだいろいろなことに竹は使われてきましたが、多くはプラスチックや金属などの他の材料に取って代わられています。
みなさんの家には、竹を使ったものがどのぐらいありますか? ひょっとすると、竹を使ったものなど一つもない、という家もあるかもしれません。

タケノコも、材料としての竹も、国内品はかつてほど使われなくなりました。いっぽうで、竹はとにかく成長が早く、地下茎をどんどん水平方向に広げて勢力を伸ばします。日本全国どこに行っても、竹林が既存の林を浸蝕している様子が見られます。

価値の宝庫だった竹林が、今では邪魔で、迷惑なものになってしまっています。

竹の垣根かと思えば、実はプラスチックのフェンスである、という製品もあります。おにぎりを包む竹皮も、今はやっぱりプラスチックで出来ています。

何も、竹を模さなくてもいいのになあ、とは思いますが、こういうことで目くじらを立てていても仕方ありません。

それよりも、近所で獲れたタケノコを食べること。
遠くから運ばれてきたタケノコと、穫ってすぐのタケノコでは、風味がまったく違います。同じ「タケノコ」と名乗っていても、何ヶ月も前につくった水煮とは、どうしたって歯応えが違います。タケノコの魅力は、この歯応えと風味の二つが大きいですから、やっぱり美味しいタケノコは「旬」のものなのです。

そうして、タケノコの真の味に目覚めた食いしん坊が、近隣の竹林に目を向け、やがて…なんて簡単にことは運びませんが、「儲け」至上主義の結果が竹林の放置につながったわけですから、違うアプローチでなければ、今の竹林に価値は見いだせませんよね。

まずは、老若男女に共通する楽しみの、「食べる」、から。

文/びお編集部
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2009年04月10日・2015年04月05日の過去記事より再掲載)