びおの七十二候

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麦秋至・むぎのときいたる

麦秋至

麦秋至と書いて、むぎのときいたると読みます。麦が熟して畑一面が黄金色になる時節をいいます。
初夏に畑一面の黄金色をみるのは不思議な感じがあって、収穫の秋という思い込みがあって、戸惑いを感じたりします。「あき」とは、この場合「百穀百果」の成熟・収穫のときをいいます。つまり、季節の秋は、第二次的なものなのですね。
麦秋は、梅雨がやってくる前の一瞬の輝きとされ、これを「麦秋ばくしゅう」と呼びならわしたところに、日本人の感性のよさがあるように思います。

麦秋といえば、小津安二郎監督による映画『麦秋』が思い起こされます。1951(昭和26)年の作品です。
鎌倉の古い家が舞台でした。丸の内の会社に秘書として勤める婚期の遅れた紀子(原節子)が住んでいて、兄(笠智衆)、兄嫁(三宅邦子)、父(菅井一郎)、母(東山千栄子)と、兄夫婦の小学校低学年の二人の子供が同居している住まいで、今では考えられないほどの大家族ですが、当時はめずらしいことではありませんでした。
適齢期を過ぎた紀子に縁談が舞い込みました。相手は40才を過ぎた商社の常務で、四国の旧家の次男でした。この縁談話があって、紀子のこころに眠っていた感情が呼び起こされます。近所に、妻を亡くした子持ちの貧乏医学者(二本柳寛)がいて、彼の母(杉村春子)がいます。自分は、この近所の貧乏医学者にひかれていることを自覚します。貧乏医学者の家を訪ねた紀子は、その母親(杉村春子)から「あなたのような人を息子の嫁に欲しかった」と言われ、紀子はそれを受け入れます。金持ちとの縁談を捨てようとする紀子に家族は反対しますが、紀子は「もう決めたことだから」と言って譲りません。根負けして、最後には家族も了解します。
ふだんは恥ずかしがりで、おとなしい紀子が、「もう決めたことだから」と毅然というその姿が美しくて、原節子という女優がすくっと立っています。これがいいのですね。
紀子の結婚を機に両親は隠居することになります。両親(菅井一郎と東山千栄子)は、ボソボソと、これまでの人生の来し方を語り合います。その向こうに麦秋がありました。
『東京物語』もそうですが、小津安二郎の映画は、だいたいこんなストーリーが多いのです。劇的な場面があるわけでなく、感情の動きや気持の移ろいを丹念に描きます。

麦秋を詠んだ句は数限りなくあります。

麦秋や何におどろく屋ねの鶏  与謝蕪村
雨二滴日は照り返す麦の秋  高浜虚子きょし
麦秋や蛇と戦ふ寺の猫  村上鬼城きじょう
麦秋や葉書一枚野を流る  山口誓子
小降りして山風のたつ麦の秋  飯田蛇笏だこつ
麦秋の雨のやうなる夜風かな  田中冬二ふゆじ
麦秋や乳児に噛まれし乳のきず  橋本多佳子

きょうは、安永蕗子やすながふきこ(1920年〜)が歌った、

麦秋の村すぎしかばほのかなる
火の匂ひする旅のはじめに

という短歌の麦秋を取り上げます。
安永蕗子は熊本の人で、大病を患った後に短歌を始めた人です。20代の終わりで結核を患い、7年ほど闘病し、短歌を始めたのは30代半ばでした。その年から始めて、歌壇の最高賞とも言われる迢空ちょうくう賞など多くの受賞歴を持つ女流歌人です。
安永は「日の常を詠む」ことを身上とします。日とは太陽です。日の常とは、朝に太陽が昇って、夕べに西に落ちるまでをいいます。「人間はこの常がなければ生きてはいけない」と安永はいうのです。それを三十一音の「五七五七七で詠む」のが短歌で、「日の常」が宇宙の摂理であるように、五七五七七で詠むことも摂理にしたがうことだといいます。

極北におく星白く乱れつつ
眼潤むといふこと悲し

卵黄にたつ血紅もいやしまず
愛にたくらむことある朝は 

かなしみはとめどなけれど明日はかむ
足袋は火鉢の火に乾きゆく

つきぬけて空しき空と思ふとき
燃え殻のごとき雪が落ちくる

朴の花白く大きく散る庭に
佇ち茫々と生きねばならぬ

蘇りゆきたる痕跡のごとくして
雪に地窖が開かれてゐつ

永らへて享けし孤独と思ふとき
天譴てんげんのごとき白き額もつ

どれも安永の感情が溢れ出ている歌です。安永は、「大和言葉の伝統と漢語の素養」を持った歌人といわれますが、これらの歌を詠むと、なるほどと納得させられます。
安永は、「短歌は啖呵たんかだ」といいます。

麦秋の村すぎしかばほのかなる
火の匂ひする旅のはじめに

この句にいう「火の匂ひ」とは、心中の決意を意味します。この句は、安永蕗子の第二歌集『草炎』の巻頭句です。自分は旅人であるというのですが、ここでいう旅は、孤独への覚悟を意味します。つまり、そこにかかって「火の匂ひ」があるのです。
この歌集の巻頭句は二つあります。

露おきて花野のごときあかつきに
あはれ闘ふ意志ゆゑに覚む

この歌人の覚悟がひしと伝わってくる歌です。この歌集の白眉は、

母の遺骨もちて旅ゆくかすかなる
母の韻きは風にまぎれず

という歌です。この世のすべてのものは風に流れてしまうけれど、「母の韻きは風にまぎれず」と歌うのです。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2009年05月31日の過去記事より再掲載)

麦畑と犬