びおの七十二候

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鶺鴒鳴・せきれいなく

鶺鴒鳴
鶺鴒の一瞬われに岩のこる  佐藤鬼房おにふさ

鶺鴒(セキレイ)という鳥は、多くの人にとって、そう馴染みのある鳥ではありません。この鳥は水辺を好むので、スズメやカラスのように町なかで見掛けないということもありますが・・・。

セキレイは、小型の昆虫類をエサにしています。細いくちばしと長い尾が特徴の、ほっそりした体つきの鳥です。羽色は白黒を主とし、種によっては頭部や下面が黄色いものがあり、それぞれセグロセキレイ・ハクセキレイ・キセキレイなどと呼ばれています。

この鳥が、何故、七十二候に選ばれたのかはよく分かりません。この時分によく鳴き始めるからという説がありますが、スズメやカラス、ヒバリのようにセキレイの鳴き声を聴き分ける人は少ないので、これにリアリティを持つ人も少ないでしょう。

日本神話の国産くにうみでは、イザナギとイザナミが性交の仕方が分からなかったところ、セキレイがやってきて、尾を上下に振る動作を見て性交の仕方を知ったとされます。古い和語では、セキレイは「庭たたき」という別名を持っていて、それは、いつもせわしなく尾をたたくように上下に振っているからだといいます。

明治記念館の結婚披露宴会場の壁に鶺鴒が描かれおり、皇室にも同じような飾り物があるといわれます。そんなことから、「恋教鳥」という異名もあります。

ここにご紹介した佐藤鬼房の句は、セキレイの敏捷な動きを「一瞬」ということばで捉えています。どこかからさっとやって来て、さっと去って行く、目に残るのは岩だけである、という句です。

佐藤鬼房(1919/大正8年〜)という俳人は、写生句というより、社会性俳句の人として知られています。鬼房は、岩手県釜石に生まれ、6歳で父に死別、高小卒業後、組合給仕・鉄工などを経験しつつ俳人として登場した苦労人です。約七年間兵役を務めてもいます。その句は、激動の昭和時代を写し取り、昭和俳句の軌跡とされます。

生きて食ふ一粒の飯美しき
切株があり愚直の斧があり
枯原の鉄材に日が倒れゆく
吾のみの弔旗を胸に畑を打つ

これらの句には、石川啄木の歌とは違う、昭和の生活のにおいがあります。詠嘆(短歌的なるもの)を排した、昭和プロレタリアの叙情(詩精神)があります。

金子兜太とうたは、俳句の五七五定型をきっちりと踏みながら、定型を、自分の内臓の一部であるかのように「体で、厳密に、大事に」しているのが鬼房だといいます。
なるほど、なるほど。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2008年09月13日の過去記事より再掲載)

猫とひなたぼっこ