びおの七十二候
第49回
鴻雁来・こうがんきたる
鴻雁来は、寒露の初候。雁の枕詞は「遠つ人」です。どこからやって来るのか、それは北の方から、遠くからやってくる、というのです。
雁は、この遥かなるイメージがいいですね。
雁は”がん”とも”かり”ともいいます。
“がん”は、森鴎外の小説にあります。
“かり”は、新国劇の『国定忠治』の「あゝ、雁(かり)が鳴いて南の空へ飛んで往(い)かあ」というセリフに出てきます。
“がん”と”かり”の用例はむずかしくて、最近は、”がん”と音でいう人が増えています。また、”かりがね”とも呼びます。
10月はじめころ北方からやってきて、翌春3月まで留まります。雁が北へ帰っていくことを、七十二候では「鴻雁北」といいます。
雁というと、『ニルスのふしぎな旅』(セルマ・ラーゲルレーヴ著)が思い出されます。ひょんな事から妖精に小さくされた悪童のニルスが、家禽のガチョウ、モルテンと共に野生の雁の群につきしたがって、スウェーデン各地を旅します。
この本は、スウェーデン政府により、もともと「子どもたちがスウェーデンの地理について楽しく学べる新しい本」を目的に企画され、その書き手として白羽の矢が立ったのが女流作家セルマ・ラーゲルレーヴ(1858-1940)でした。
この依頼を受けたセルマは、単なる教科書ではなく、物語としても完成度の高い作品にまとめあげました。
原題は「ニルス・ホルゲションの素晴らしきスウェーデン旅行」とつけられましたが、後にそれは『ニルスのふしぎな旅』と呼ばれるようになりました。
この物語の楽しさは、野生の雁と編隊を組んで、主人公のニルスはモルテンの背中に乗って、空から俯瞰しながら飛び回るという着想です。
越冬地のバルト海エーランド島では、木造の古い風車が回っていました。ニルスが「エーランド島は大昔、大きな蝶だった」という老羊飼いの話を立ち聞きするのは、風車の階段の下でした。
ユネスコの世界遺産にもなっているカールスクローナにも立ち寄ります。この町の歴史や、造船に関わった人たちの話も出てきます。ニルスの故郷、南スウェーデンのスコーネ地方の古城や、貴族の館も出てきます。
会話はコミカルで、ワクワクしながら読み進めることができます。スウェーデンの国民文学というにふさわしい作品で、セルマは後に、女性として初めてノーベル文学賞を受賞することになります。
森鴎外の『雁』は、『ニルスのふしぎな旅』とは180度違ったものです。
運命のいたずらというべき偶然が、人生を左右する象徴として描かれます。
主人公の医科大学生岡田が、不忍池で投げた石がたまたま雁に命中して、その命を奪ってしまうという事件を扱っていて、同じ雁を描いていても、東西ではかくも違う、ということを楽しんでいただければ、それで結構です。ここで比較文学論を展開しようというのではありませんので(笑)。
今回の句は、橋本多佳子(はしもとたかこ/1899(明治32)年〜1963(昭和38)年)の句です。
女性の哀しみや不安、自我など、微妙な心理の綾を、掬い上げるように句にする名人です。叙情的、主情的な句風とも言われていて、ほかを圧するほどの美貌の持ち主だったということもあり、杉田久女とよく比較されます。
この候で紹介した句は、後年の凄まじいまでの主情性はありませんが、家路につき、ふと我が家をみると明かりが燈っていて、その家の空を雁が渡っていく光景が詠まれている句です。
橋本多佳子の句で、有名なものだけ幾つか挙げておきます。
最後の林檎の句は、筆者が好きな句です。
秋の星の光りの下、あふれるように積まれた赤い林檎が、いまにも転がり出そうな様子がありありとしています。この地上の幸福感を、いわないではいられない気持ちが溢れています。
かと思うと、月光の句は、病弱で寝込んでいた夫の急逝を詠んだ句で、多佳子三十八歳の時の、つらい句です。
松本清張に橋本多佳子をモデルとした短編小説があります。清張には、杉田久女をモデルとした『菊枕』がありますが、明らかに多佳子をモデルとしているとみられるのは、『花衣』という作品です。
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2008年10月8日の過去記事より再掲載)