色、いろいろの七十二候

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朔風払葉・読書

読書
こよみの色

二十四節気

しょうせつ

小雪
砂色すないろ #DCD3B2

砂のような灰色かかった薄い黄色。日本の海岸に広がる平均的な砂の色をさす。

七十二候

きたかぜこのはをはらう

朔風払葉
芥子色からしいろ #C8A65D

カラシのような茶色がかった黄のこと。近代に生まれた新しい色の名で、男女問わず衣料品の色として好まれた。

燈火可親(とうかかしん)」という成語があります。秋の夜長は明かりを灯し読書するのが最適という意味です。「灯火親しむべし」というほうが馴染みがあるかもしれません。

「符讀書城南詩(韓愈)」にある言葉です。
この後に続く「簡編卷舒(かんぺんけんじょ)すべし」とあわせて、現代では、秋の夜は灯をつけて本を読もう、というように用いられます。

けれど、この詩はただ本を読もう、というものではありません。子どもに勉学をさせるべくして作られた、なかなかシビアな内容の詩です。

生まれた頃には皆それほど差はないのに、成長して12〜3歳ぐらいになると、学問をしたものが頭角を現しはじめ、20歳になれば溝が大きく、30歳になれば一方は龍に、一方は猪に、一方は一兵卒で、もう一方は宰相となる。
馬牛襟裾(ばぎゅうきんきょ)」という言葉も、この詩から生まれた言葉で、学がなければ馬や牛が
服を着て歩いているのと同じだ、と言っています。他にも大変厳しい叱責がならびます。それでいて、ただ読書をすればよいというものではなく、周りに尽くせと。科挙が実施されていた時代の、勉学の出来不出来で立身出世が大きく左右された時代故の詩です。
時代が変わって、現代の日本でも、親の年収が高ければ子の学力も高くなる、という調査もあるようで、人は生まれつきなにかが決められているのではなく、生まれた後の環境で随分左右される、というのは今も昔もかわらないようです。

と、冒頭から、道徳教育やら教育雑誌などに出てきそうな話になってしまいました。けれど、いわゆる学問だけでなくても、親がどんな本を子どもに読ませているか、読書の環境を作っているか、ということは、その子の世界を広げることに大きく影響するのではないでしょうか。

文化庁が16歳以上の男女2028人を対象に実施した『平成25年度「国語に関する世論調査」の結果の概要』によると、人が最も読書すべき時期はいつ頃、という問いに、10代と答えた人が最も多く44.8%、次いで年齢は関係なくいつでも(20.2%)、9歳以下(16.6%)、20歳代(10.7%)という結果が出ています(以下、グラフは同調査より)。
読書すべき時期

同調査では、1ヶ月に1冊も本を読まない、という人の割合は全体で47.5%。この「読まない」年代を見てみると、若年層から50代までは概ね40〜45%代なのに対して、60代を超えると割合が急増しています。
年齢別1ヶ月に本を1冊も読まない

読書が減っている理由は、いわゆる「忙しいから」もありますが、「視力など健康上の理由」が2位につけていて、高齢層の読書減はここに理由があるかな、という感じです。
読書量が減っている理由

それでも、読書の魅力としてあげられている多くは、子どもたちだけでなく、大人になっても大切にしたいことばかりです。
読書をすることの良いところ

「燈火可親」の言葉が生まれた時代には、読書の環境を整えるにも一苦労だったことでしょう。時代と国は変わりますが、二宮金次郎が、勉学のために菜種油を作って火を灯した、という話も有名です(本当に、道徳の教科書みたいになってきてしまいましたね)。

それに比べれば、現代は夜の読書の環境をずいぶん簡単に整えられるようになりました。明るさの基準にもJISの規格があって、住宅で読書目的の場合は500lx、などと定められています。裁縫や手芸は1000lxと、さらに照度が必要、とされています。これを室内全体に反映させると、正直なところ、明るすぎます。

読書には読書に応じた明るさを、手元のあかりで調節してあげれば十分です。お子さんに素敵な本を選んであげるのと同じように、素敵な照明も選んであげてください。

あかりについての過去記事から以下2点、ご紹介します。

あかりが場所を拾う【益子義弘】(2008年11月12日の記事より)

明かりが灯った部屋
いつも深夜のラジオで「明日の日の出の時刻」が流される。
聞くともなしに聞こえてくるのだけれど、意外に気になるものだ。
夏至のとき、東京は四時二十四分だった。
季節も気分も夏の活気に向かいながら、その日を境にして昼間は確実に短くなっていく。
今はもう、日の出はとうに五時を越えている。
日暮れも早くなった。

住まいの場面でいえば、気持ち浮き立つ明るさもいいけれど、薄暗がりにも惹かれる。特に夕暮れの、物も空間も総じて輪郭があいまいになって行く時間は、場所の固定された強さから気持ちが解き放たれる。
もちろんいつもそんな場面に身をおいているわけではなく、たまの休日に味わう一時ではある。
夕刻、いつの間にかの辺りの暗さに気付いてあかりを点ける。
テーブルの面がポッと照らされる。昼間は陰にいた部屋の片隅が明るさに浮き出る。そんなふうにして順にあかりを点けて行く。
点けるごとにあかりが場所を拾うようだ。
ちょっと格好をつけて言い過ぎたなあとは思うけれど、あかりは家の中に昼間とは違う居場所のありかを確かに生む。
そして、強いあかり、弱いあかり、その位置は、人や家族の間や距離の感覚をさまざまに変える。それを設計の折にも大切にしたいと思う。

ある時、「夜は暗くてはいけないか」という本を書店で目にした。
題名を見て、「そうだ」と思ったのだけど、均質の蛍光灯に照らされて、日本の街や家の夜がどんどんと平盤になって行く状態を著者は指摘する。
細かな内容はここでは記さない。
最近はまた、省エネの観点から白熱灯を蛍光灯や別の光源に早く変えるべきという話が目につく。国の施策もメーカーもこぞってその移行に向く気配だ。勘ぐれば売り手メーカーの後押しで施策が進められていると思わなくもない。
だって夜の街は競うように煌々と照らされている。
不要と思える施設のライトアップも盛んだ。
住まいにあっては、それは慎重にしたい。暗さの中にあかりが場所を拾う楽しさやその上の豊かさ、選べる明暗や光の色合い。
そこにはまだまだ工夫の目を向けたい。
これから夜が長くなる。
間接照明
スケッチ:文 益子義弘

益子義弘(ますこよしひろ)
 
1940年 東京に生まれる。1964年 東京藝術大学建築科卒業。1966年、同大学院修了。
吉村研究室助手を経て、永田昌民とM&N設計室を開設し、建築家として活動。
東京藝術大学名誉教授。「益子アトリエ」を自宅敷地内に構える。
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2014年11月22日の過去記事より再掲載)