まちの中の建築スケッチ
第39回
日光東照宮
——装飾された建築——
学生のときのレポートで、「桂と日光」をテーマに書いた記憶がある。日本建築史の科目であろうから、太田博太郎先生に提出したはずである。そんな表題の書籍も参考にしたのだと思うが、桂離宮こそが日本的美しさの象徴との印象がある。片や、日光東照宮は、平凡社の世界大百科事典に太田博太郎が書いているように、装飾は見事だが建築として美しいものでない。そんなこともあって今まで日光には何度か出かけたものの、東照宮は素通りであった。
奈良の薬師寺の東塔にしても、中学や高校の修学旅行での印象は、「凍れる音楽」と呼ばれた、長年の雨風を受けた、モノトーンの形の美しさで、最近になって修復された創建当初の彩色の塔には、なかなかなじめない。
この年、コロナ自粛で人出の少ない東照宮に初めて参詣した。陽明門の装飾は、凄いと言う言葉を超えるすさまじさがある。装飾は、木彫に漆を掛けているから極彩色も見事であるが、丸味を帯びた細かい形の、またその密度の繰り返しが人を見入らせる。そして、その中で柱や梁の白が印象に残った。欄間に舞う竜は、すべて白一色である。陽明門を入ると拝殿に向かうが、その正面は唐門で、やはり白い柱に浮かぶ自然の絵模様は黒く鮮やかだ。欄間にあるのは、中国の故事に因む人の群であろうか。
西洋の公共建築は石造であるが、梁間や柱頭に、よく神や人物の像が載っている。木造建築には木彫の細やかな形が美しい。金箔で縁が覆われ、あるいは極彩色のきらびやかさというだけでなく、よくぞこれだけの建築を作ったものだと驚くほかはにない。
桂離宮は、かつて仲間3人で大学の卒業旅行と称して訪れ、写真と模型で知っていた本物を見てなるほどと感じたものだが、その同じ時期に日光東照宮を訪れていたら、どう感じたのだろうか。この日まで待っていて良かったかもしれない。
本物には、本物の味がある。冬の曇天ということもあったかもしれない。極彩色が、とても嫌な感じでなく、徳川の祖としての家康を祀るという意味が伝わる建築である。桂と日光の対比は、貴族と武家の対比。それも、力のなくなった貴族が質素で美しい、力まかせの武家は金をかけてケバケバしい。そんなイメージだけで説明できるものではないとつくづく思った。明治から昭和までやはり、江戸時代は否定すべき体制という価値観が、「桂と日光」の見方にも影響していたように感じる。
スケッチの正面は、神與舎で神輿が納められており、左手に陽明門が一部見える。右手には描いていないが、唐門があってその奥が拝殿・本殿である。陽明門に入る手前には、見ざる・言わざる・聞かざるの神厩舎があり、左手の薬師堂には天井に鳴き竜のダイナミックな絵、陽明門を入った右手奥の回廊の欄間に、眠り猫が居る。
素晴らしい建築群だが、建築の前や回りの柵だとか、パネルとかが、建築を遮っているのが少しばかり残念だ。国宝や重文に指定されている素晴らしい宝物を、ちゃんと見られるように扱っていないのは、建築を見せるものと思っていないということなのだろうか。
杉の山林に囲まれ、意外とこじんまりした日光東照宮。400年前に建てられた贅を尽くした建築であり、江戸幕府の権威の象徴でもあった。じっくり見ているとさまざまな感動を与えてくれる。