まちの中の建築スケッチ

83

東武浅草駅
——昭和のレトロの貫禄——

東武浅草駅
鉄道のターミナル駅というと、常磐線・高崎線の上野駅とか、大田区では池上線・多摩川線の蒲田駅、井の頭線の渋谷駅などを思い浮かべることができる。一方で、ターミナル駅のホームが並んだイメージはわかるが、それを覆う建物のイメージはあまり浮かばない。ターミナル駅が単独として存在していないからということがその理由のように思う。

もっとも東京の私鉄は、もともと多くが山手線の駅を始発駅としていても、あるいは地下鉄とつながって始発でなくなってしまったりしている。利用する側からは、都内の地下鉄と郊外への私鉄がつながるのは、便利で効率的である。千代田線は小田急や常磐線とつながり、日比谷線は東急東横線、南北線は東急目黒線、有楽町線は西武池袋線に接続している。都営浅草線は京浜急行と京成線に接続している。路線上の始発駅・ターミナル駅と言っても、駅舎のイメージはないことが多い。

そうしてみると、東武浅草駅は珍しい存在のように思う。1931年開業というが、1974年に外壁をアルミルーバーで覆いモダンな装いをしていたものを、2012年に開業時の外装にリニューアルし、時計塔も復活したのだという。ターミナル駅として、2階に1番線から5番線までのホームを擁する堂々たる建物だ。アーチ型の窓が連なっているのが、1番線であり、外から見ても鉄道の存在を感じさせる。もともとデパートと一体の駅ビルだったものが、今は正面の「浅草駅」の上部には「EKIMISE」と表示され、さまざまな店も入っているが、昭和のレトロな雰囲気は、多少ともごちゃごちゃした浅草、雷門、仲見世界隈では、どっしりとして輝いているようですらある。まちなみの構成においては存在感が半端でない。

吾妻橋の交差点は五差路になっており、そのV字のところに、正面を向けて立っているので、水戸街道を南から交差点に差し掛かると迫力をもって迫ってくる。右手の橋の向こうには、東京スカイツリーが見える。左に1ブロック行くと雷門である。あまり暑くなる前にと、土曜日の朝に出かけたが、すでに大勢の人が出ている。水戸街道のバス停を外して車道に少し出て、スケッチした。目の前にトラックが駐っていて、しばらく動きそうもなかったので、スケッチに入れたが、描き終わったときに居なくなった。右には、太い幹ではないが、銀杏の街路樹が連なる。

昭和の初めとなれば、都内も私鉄が敷設された時代で、どこのターミナル駅も地上に広いスペースを擁した形が作りやすかったろう。東武線の場合は、墨田川に水戸街道が沿っており、浅草駅を墨田川の東京側に設けるとなると、水戸街道を横断することになるので、当初から高架にして2階に引き込んだ計画となったと想像する。堂々たる駅ビルの誕生であったろう。鉄道の入る建物ともなると、列車が柱に衝突するようなことがあっても建物としては倒壊に至らないという確認をするというようなことも、かつて構造設計の実務を行っていたときに議論したことを思い出す。鉄道を引き込んだイメージが今もそのままに残っている。都市の鉄道の路線は簡単に変えるわけにもいかないから、この駅ビルは間もなく百年であっても、まだまだ使い続けられることになるだろう。

著者について

神田順

神田順かんだじゅん
1947年岐阜県生まれ。東京大学建築学科大学院修士修了。エディンバラ大学PhD取得。竹中工務店にて構造設計の実務経験の後、1980年より東京大学工学部助教授のち教授。1999年より新領域創成科学研究科社会文化環境学教授。2012年より日本大学理工学部建築学科教授。著書に『安全な建物とは何か』(技術評論社)、『建築構造計画概論』(共立出版)など。