まちの中の建築スケッチ
第75回
大倉山記念館
——丘の上の集会施設——
東急東横線の大倉山駅を、線路の西側に沿って北進して、坂を上ると、横浜市の大倉山公園になっている。その丘を登り切ったところに大倉山記念館が建っている。30年ほど前のこと、子どもが小さいころにバイオリンを習わせており、その発表会で、何度か訪れたことがあった。昨年の11月には、所属しているCHAMP(Cross Hands Association of Matured Personsというシニア世代の交流団体)の25周年記念会が大倉山記念館のホールで開催され、再び訪れた。記念会では、チェロを趣味としていることから、フルートと合奏をすることになり、リハーサルと本番で2度、チェロを担いで、長い急な坂を上った。立派な建物に入ると、内部は堂々たる階段が、内部でホール入口の2階に導いており、また、控室として利用した地下の集会室も、一つは保育室に充てられていて、市民の集会施設として活用されていることを感じた。そのときは、外から建物をゆっくり見ていなかったことから、思い立ってスケッチに出かけた。
もともとは、東急の経営する梅園と大倉邦彦(1882-1971)の主宰する大倉精神文化研究所とが、大倉山公園になったもので、今は建物も横浜市の施設である。ある時期から、このあたり一帯の地名が、大倉山と呼ばれるようになったという。実業家であり教育者でもあった大倉の名がこのような形で残っているのは、この地域の歴史であり、文化である。大倉精神文化研究所は、今も公益財団法人として事業を展開されており、中には研究所の図書室もある。
建物は昭和7年(1932)に研究所本館として長野宇平治(1867-1937)の設計により、創建されたものである。東洋文化と西洋文化の融合というコンセプトが建築にも表れた、独特の様式と言われている。建物正面の列柱というと、昭和13年(1938)年竣工の日比谷の第一生命ビル(現在はDNタワーとして外観保存されている)を思い浮かべたりするのであるが、大倉山記念館の正面の列柱は、それが極めて象徴的にデザインされている。両翼への広がりや屋根の上にも重層的に列柱の回廊が載っていたりという具合である。延べ床面積2700m²、ホールの定員80名と、規模はそれほど大きくないのに、堂々とした構えになっている。
なによりも、周辺の公園には大きな木が育っており、ゆったりとしたスペースにベンチも配され、これからも市民に愛される建物として存続していくことは間違いない。建築は文化であることを、建物自体が表してくれている。