びお通信

味岡伸太郎展 富士山麓20景

あいちトリエンナーレ2016で、味岡伸太郎さんの作品はご覧になりましたか?
土に魅せられ、土を画材として絵を描く味岡伸太郎さんの個展が11月に、東京と豊橋で開催されます。

富士山麓の20か所で土を採取、
東京側の5か所で採取した土で描いた絵を、東京で「富士山麓20景之内五」として
愛知側の15か所で採取した土で描いた絵を、豊橋で「富士山麓20景之内十五」として
展示します。

東京

RED AND BLUE GALLERY
東京都中央区新富1-5-5トーア新富マンション102
11月10日(金)-12月9日(土)
火~金 12:00-19:00/土 12:00-18:00/日・祝・月休廊
11月10日(金)17時よりトークショー&オープニングパーティ。

豊橋

Gallery SINCERITE
愛知県豊橋市向山大池町18-11
11月3日(金)-26日(火)11:00-18:00 水曜休廊
11月3日(金)15時よりトークセッション&オープニングパーティ。[味岡伸太郎と土と絵画]味岡伸太郎×櫻井拓(ART CRITIQUE

◊ 味岡伸太郎さんによる町角シートもあります。
Vol.5  町角シート 味岡伸太郎 花頌抄 1


土によるドローイング、産土うぶすなという言葉が思い浮かびました。(甲)

屋根はなぜ根なのか?

『日本人とすまい』(上田篤、岩波新書、1974)は「屋根」や「柱」や「庭」など住まいの部位ごとに書かれた評論24本が載っている。「屋根」を読んだ。

屋根は変な言葉だ。屋根は家の上にあるのに、「根」は物の下の方を指す言葉だからだ。屋、すなわち家の上にあるのに、字面の意味は家の下である。漢和辞典を調べると「屋」は家を示すが「やね」とも読み、屋根の意味も持っている。屋上という言葉も「屋上屋を架す」ということわざも「屋」が屋根の意味を持っていることを教えてくれる。

万葉集には大伴家持の歌で「板蓋之黒木乃屋根者」(板葺きの黒木の屋根は)とあり、奈良時代から「屋根」の使用例はある。

国語辞典を調べると、「屋」は家全体を示した。そして屋根の「根」は垣根や羽根の根と同じ接尾語に過ぎず、地面などにしっかり根付いているもののことらしい。どうやら、屋が家を示すのではなく屋根が家を示していたようだ。

つまり、屋根という言葉は屋根=家がしっかり地面に付いていた時代の名残りで家そのものを示す、そして柱と壁によって屋根が地面から離れてもなお屋根と呼んだ、ということらしい。屋根の示す範囲が家全体から雨をしのぐ部位へと小さくなった。冒頭の「屋根は変な言葉だ」は、柱と壁のある家が普通だと決めつけていた私の思い込みに過ぎなかったのだ。

ちなみに屋根が家そのものである好例は平安時代まで農家のスタンダードだった竪穴式住居である。

屋根=家

『日本人とすまい』で上田篤は「日本における建築の近代化の歴史は、屋根除去の歴史である」として近代化とともに屋根が少なくなっている事態を嘆いている。確かに屋根こそが日本の家屋そのものだった歴史を思えば、屋根のない建築物は根なし草だ。

昔、北海道札幌市に住んでいたとき新千歳空港駅から札幌駅へ快速エアポートで赴くたびに「車窓から見える街が寂しい」という印象をもった。雪国で曇り空が多かったのもそうだが、サイコロ型の屋根のない無落雪建築が内地出身の私に寂しいという印象を与えたのだろう。一方で「柿木村の一輪挿し」の企画のために島根県を訪れた時、インターチェンジから見えた集落がみな石州瓦で屋根を葺いていて、赤褐色が目に映えた。(甲)

ウッドデザイン賞2017受賞作発表

2015年に創設されたウッドデザイン賞
10月25日にウッドデザイン賞2017の受賞作250点pdfファイル)が発表になりました。

そのソーシャルデザイン部門建築・空間分野で
有限会社村松篤設計事務所さんが設計監理された

掛川市森林組合新事務所
http://muratoku.com/sakuhin-201705.htm

が受賞されたとのこと。おめでとうございます。
住まいのグラフィティで11月2日に村松篤さんの作品をご紹介します。
お楽しみに。(甲)

家の歴史を考えた

『プロセスでわかる住宅の設計・施工』(鈴木敏彦+半田雅俊、彰国社、2016)を建築初心者の立場で読んだ。あの「F・LL・ライトに学ぶヴィンテージな家づくり」を連載している半田雅俊さんの著書である。といっても読んだのは基礎編の「良質な住まいをつくるための知識と視点」だけ。

興味深かったのは「日本の住まいの歴史から考える」。日本の住まいの歴史を縄文時代から現代にいたるまでたどっている。町屋や農家は構造形式が決まっていて「人が建物に合わせて使う」こと、明治時代の家の板ガラスはすべて輸入品であったこと、大正時代は性別就寝が普通だったこと、太平洋戦争による空襲で大都市が焼けるまでは都市部では借家住まいが普通だったこと、などが私には新鮮だった。今の日本の都市部における家づくりの伝統は戦後に作られた比較的歴史の浅いもので、それまでは江戸時代から脈々と続いた借家暮らしが伝統だったようだ。今の若い人が借家に親近感を持って、新築一戸建てに違和感を持つのは先祖帰りかもしれない。

浜松市の蜆塚公園で縄文晩期の家と旧高山家という19世紀半ばの家を見ている。

縄文時代の竪穴式住居は空気を循環させ排煙できるように茅葺屋根の下に換気口があいているのと入り口があるのだけのシンプルな間取り。
旧高山家は『プロセスでわかる住宅の設計・施工』にも書いているような「田の字プラン」よりもっと単純な「円の字プラン」。こういう単純な間取りを見ると三大欲求のうち食欲・睡眠欲は大丈夫だろうけれど、性欲はどうやって発散したのか気になる。老夫婦にその息子夫婦でどうやって夜を営んだのだろうかとか、外で営んだのかとか、夜這は特に気にしない習慣なのかとか、家のプライバシーの問題ってほとんど性欲に行きつく気がする。日本人は9月に生まれた人が多いらしいけれど、誕生月の多さと住まいの関係について調べたら何か分かってくるかも。縄文人はどの季節に多く生まれたんだろう?

旧高山家で気になったのは縁側がなかったこと。

縁側のない旧高山家

伝統的な家づくりというと「縁側」が思い浮かぶけれど、それもまた現代に選び直された例外的な過去の記憶に過ぎないのかもしれない。(甲)

びお養成塾一期生会のお知らせ

びお養成塾一期生のみなさんへお知らせです。

工務店勤務のweb女子と女子系男子30名が
北は北海道、南は九州から
京都に集った8月。
ともに学び、ともに汗を流し、ともに写真を撮り
お店に入れば壁材や構造について話した、4日間。

あの時の仲間と、東京で、再会できる機会を設けました。
びお養成塾一期生の同窓会、です。

びお養成塾第一期生会開催決定!

2017年11月16日(木)~11月17日(金)

詳細はコチラ
びお養成塾第一期生会
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