aki’s STOCKTAKINGを
stocktakingする。
第2回
哲学×絵画=建築?
秋山 それで、最初はおふくろが週刊誌なんか持ってきて、榮久庵憲司の「GK」の話なんかするわけ。当時は工業デザイナーなんて世の中に知られていなかったから、そうか、俺も工業デザインに行こう、なんて思ったわけ。だけど、高校に鈴木武というヤツがいて、藝大の建築に行くんだ、と言っていて。そいつは結局、建築に行かずに油絵に行って画家になったんだけどね。それで、え〜、藝大に建築科があるのかよ、建築という手もあるなって思って。そのときに読んだ岩波新書の一冊、西山夘三の『現代の建築』で、ああ建築ってカッコイイじゃないかとね。
佐塚 西山夘三さんの話が転機だったわけですね。
秋山 ある意味で、生意気っていえば生意気で……。僕は岩波新書をちゃんと読んでる高校生だったのです(笑)。哲学をやろうなんて思っていたことと、絵の試験がある学校を受ける、ということが、ここに結びついたんだよね、『現代の建築』で。まあ、アウフヘーベン、止揚しちゃったのね。
佐塚 なるほど。西山さんといえばマルキストなわけですが、マルクス主義に傾倒していたんですか?
秋山 いやあ、その頃はみんなそうでしたよ、高校生なんて。そういう時代だもん。僕が高校3年生の時、ちょうど60年安保闘争だったんだよね。僕もデモに行ったりしてたんですよ。それから、学校に社研、社会科学研究会があって、結構幅を利かせてたんだよな、それが。社研の内部ではトロツキストと日共系の対立があったりして。すごくマセてたんだと思うよ。あの頃の気分というのは、自分の進路もそういう中から選ぶんだ、なんて考えていて。それで哲学云々……だったのね。
立川高校から藝大の建築科に行った孤島という先輩がいたから、彼に会いに行って、それで受験の様子が見えてきた。藝大は建築写生とか空間構成とか、特殊な実技があるから、高3のときに、阿佐谷美術学園の夏季と冬季講習に行ったんだよね。予備校ですから、浪人生もいるわけ。そこに、六角(鬼丈)とかさ、永田(昌民)とか、添田(浩)とか、いるわけですよ。そこで建築の写生やってみたら、なんだこんなのか、軽い軽い、なんて、ハッハッハ(爆笑)。
佐塚 (爆笑)
秋山 そのときの、阿佐ヶ谷美術学園の先生が、宮脇檀と原広司ですよ。
佐塚 東大の大学院生時代のお二人ですよね。なんだかスゴいな。
秋山 それで受験教育というより、建築初等教育みたいなものをやっちゃうわけですよ。
佐塚 本来の予備校のカリキュラムからはみ出てやってるんですか?
秋山 みんな建築のことが好きだろうから教えちゃう、みたいな感じで。文章題で結構知的な試験問題なんか出して。原が出してきた問題で、「妙に自分が背が高くなったような気がする。すべてが低く出来ているから」ぐらいのことが書いてあって、それを「幼稚園」と当てる、とか。受験教育からは逸脱してますね。でもそういうことをやりたかったんでしょう、あの人たちも。僕にとってもすごく面白かったんだ。夏休み、受験前のそれぞれ二週間ほどの、ほんの短期間ですけど。
そのときに建築の図面やら絵を描いたんだけど、パースなんかもスイスイ描けちゃうしさ。
佐塚 英才教育が生きたんですかね。それとも才能でしょうか?
秋山 英才教育というか才能というか…いや、そんなに難しいことじゃないんだよ。その頃の藝大建築科って、合格者は十数人しかとらなくて、倍率30倍以上なんてもんだったよ。で、現役のときは落っこちて、一浪してね。まず学科で絞って、実技で絞られて、最後は面接なのね。
現役受験のときは、面接室に座っていたのが吉田五十八と吉村順三で、吉村に「君は数学の成績がわるいねぇ」って言われて。それ、なんかに書いたなあ。
佐塚 なんかで見ましたね。
http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/004396.html
秋山 藝大の受験を志してから数学の勉強はしていません、なんていったら、「ちゃんと勉強しないと受からんよ」なんて言われて、ああこれで落っこちたんだな、と思ってがっくり。吉田五十八は「うーん、頭は悪くなさそうだ」とか。
佐塚 スゴい面接ですね。メンバーも内容も。
秋山 まあ、それで翌年入学して、非常に恵まれた教育を受けた、というのはいえるんですけど。でも藝大の教育は少人数で、もう嫌ですね、あんなとこ。息が詰まりますね。(笑)
http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/000007.htmlより