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共に学んだ人たちのこと

予備校で宮脇檀と原広司に学び、面接は吉田五十八と吉村順三、という、なんとも豪華な体験を経てはじまる学生生活を聞く…予定でしたが、その前に、12名という人数で行われる藝大教育の入口にそちらにスポットをあててみます。

 

秋山 入った年の面接の時には吉田五十八はいなくて、吉村順三と天野太郎がいて。
それで、君はどんな建築が好きなんだい、なんて聞かれたりして。
そのとき、アルヴァ・アアルトみたいなこと言ったのかなあ。サンテリアなんて生意気いうべきだったのかもしれないんだが。
とにかくそのぐらいませてたの、いろんなこと知ってたり。ませてたのは、宮脇と原に会っていたというのもあると思いますね。

佐塚 入ってみると、同級生よりも、やっぱりませてたんですか?

秋山 いやぁ、二年間浪人して予備校に行ってたりする人もいるから、それなりにみんなませてたと思いますよ。

佐塚 みんな(笑)

秋山 ただ、僕の、なぜ建築科に来ているのか、というのはね、ある意味では思想問題ってことだね。みんな西山夘三なんか知りませんよ。

佐塚 特別ませていたわけですね、やはり。

秋山 まあ、とにかく12人受かったんですよ。はじめて顔合わせたのが、入学式が終わって建築科の教室に全員が集められたときだった。吉村順三がいて「君たち、合格したからといって有頂天にならないように、建築の勉強はこれからなんだ」なんてことを云われた……なあ。

佐塚 それは嬉しいような、ビビってしまうような。

藝大建築昭和37年入学の12人

藝大建築昭和37年入学の12人

秋山 うん、それで、12人しかいいないんだから、始めは、なんとなく…ものおじしながら付合い始めたんだ。まあ、まずは…現役と一浪組、二浪組、その他……という感じのまとまりで付合いが始まったわけ。現役は落合、細川、黒川の三人、一浪はオレと大行、小畑、島田の四人。二浪は荒木、岡村、片山、永田の四人。そして新田は日大建築を出てから四浪といっていたから、八浪ってことかな。

佐塚 八浪…! に少しびっくりしましたが、少ない人数だけど、年齢も幅広いですね。

秋山 12人の同級生のわけだけど、皆、違っているなあ……というのが第一印象だったなぁ。自分は藝大建築科に入るために「最適化」してきたと思ってきたけど、そうじゃない奴がいろいろいて。もっと多様な、というか、変わっているとか、……ちょっと変な気分ではあったな。
二浪組四人は、最初からなんだか仲良かったな。……自分のことではないから、ちょっと分からないところだけど、皆、大人度が同じだったのかな。
入学からほどなく、「新入生歓迎会」なる学生主催のパーティが教室で開かれたんだが、これが最初の藝大建築科というものの洗礼だったという感じがする。

佐塚 それが写真の様子ですね。

新入生歓迎会

在校生とその年の卒業生による新入生歓迎会

秋山 この二枚のカラー写真は、写真を趣味としていた藝大建築科三年先輩の飯島さんが撮ったもので、何だか「おまえ、持ってろ」なんて言われて、私が預かるということになったもので、当時はカラー写真も珍しかったんだ。
それで、そのパーティって、我々一年生と在校生の二、三、四年生…全体で50人と、その年卒業した卒業生が集まるんだ。だから60人くらいの人数しかいないんだけど、本当に、いろんな人達がいる……とにかく、それが藝大建築科なんだ。
もう、この時から学生50人しかいないという濃密な世界の一員になっていくのね。

佐塚 これが生徒全員……ってのはすごいですね。

秋山 同級生12人、まあ、世の中のいろんな分野に出掛けていった。黒川と片山は藝大建築の教授になったし、荒木と細川は大林組にいった。落合は公団、あとは作家的な世界へといったわけだ。黒川、永田はもういないし、島田、新田は行方不明だし、というわけで今は8人しかいない。

佐塚 私は直接面識があったのは永田さんだけですが、お話を聞くだけでも、ずいぶん濃密な気がします。入ったときの「いろんな人たち」は、やはりそれなりにいろいろだったんですね。

秋山 12人みんな、それなりに仲いいんだよ。夏休みには全員で必ず海で一週間くらい一緒に遊んでた。オレは黒川、大行、小畑とよく一緒していた。永田とは、なんとなく親戚になっちゃうし。

佐塚 そのお話(※永田さんの妹さんと秋山さんは後にご結婚されます)は、また追々聞かせてください。でも、もう嫌ですね、と前回仰っていたわりには、そうでもなさそうですよ。

秋山 生徒50人、先生10人、というような学校だからさ。息が詰まるとか、愚痴みたいのもこぼしているけど、藝大建築科の設計プロパーな教育を受けたというのは、得難いひとつの経験だったよね。最初の設計教育を、どこでどんな環境でうけるのか、というのは、とても大事なことなのだよ。

学生生活について詳しく、と思っていましたが、同級生の様子と、当時の藝大の「構え」を聞いたら1回分になってしまいました。
さて、次回はお待ちかね、学校での講義・課題について聞いていきます。
秋山さん曰く「大学」ではなく、「学校」である、という、その教育のやり方、果たしてどんなものなんでしょう。
当時の藝大建築科も、やはり「秘境」だったのでしょうか。お楽しみに。