まちの中の建築スケッチ

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原爆ドーム——廃墟の美

かつて英国の留学中に、スケッチの題材として、廃墟になった中世の城をよく描いたことを覚えている。周辺は公園として整備され、木の床は抜けており屋根は無いが、石組みの壁は残っていて、解説があるとそれなりに往時を偲ぶことができる。多少、線が歪んでも、あまり気にならないという気楽さも、スケッチをしやすくしてくれる。

この夏の終わりに日本建築学会の年次大会があった広島で、5日間ほど滞在したこともあり、ゆったりした気分で原爆ドームを訪れることができた。現役時代に、何度も広島を訪れていたのに、ほとんど余裕がなかったこともあって、この機会にじっくり見たいと思っていた。世界遺産に登録されており、また最近のコンクリートの補修技術のせいもあろう、崩れた壁もなめらかに落ち着いて眺められるようになっている。
原爆ドーム-スケッチ
人生も70年近く生きていると、さまざまな人との出会いもあれば別れもある。感動するような建築との出会いもあれば、素晴らしい建築が取り壊されもする。廃墟として遺されて、後々の人々に、かつての空間や生活を想像させるということができるということは、廃墟なりの意味もあるというものだ。東日本大震災でも、いくつかの被災した建物を残すか否かについて、今も論じられている。戦争や自然災害が、建築に大きなダメージを及ぼすが、その戦争や自然の猛威を記憶にとどめて、新しい生活の中で廃墟となった建築が息を吹き返しているということも、必然と偶然が重なった面白さを感じる。

廃墟となった建築を見て思うことは、人それぞれだ。今使われている建物からよりは、よっぽど幅のある思いの広がりが生まれていることが想像される。そして一度廃墟としての位置を確保すれば、一般の建築よりははるかに長い時間にわたって、人々に語りかける建築となる。

なにも崩れた廃墟だけではなく、人の居住のためでなく、観光用の文化財なども似た役割を果たしているかもしれないが、戦争や自然に壊されてしまったという事実を持っていることは、見る側に、人の生き方との相関を思い起こさせる強みをもっている気がする。美と言えるかどうか、難しい問題でもあるが、単なるゴミにはならない建築のおもしろさかと思う。

著者について

神田順

神田順かんだじゅん
1947年岐阜県生まれ。東京大学建築学科大学院修士修了。エディンバラ大学PhD取得。竹中工務店にて構造設計の実務経験の後、1980年より東京大学工学部助教授のち教授。1999年より新領域創成科学研究科社会文化環境学教授。2012年より日本大学理工学部建築学科教授。著書に『安全な建物とは何か』(技術評論社)、『建築構造計画概論』(共立出版)など。