まちの中の建築スケッチ
第2回
ロンドンの住宅街——豊かさの象徴
イギリスでは、土地は女王のもので、市民は使用させてもらっているだけと聞いたことがある。東京では、戦後の持ち家政策で安普請の家が建てられた後、今度は相続の問題や経済原理から更地にして敷地が分割され、ワンルーム・アパートや、狭小な木造3階建てになったり、あるいはデベロッパーによる高層マンションになったりと、まちの姿を変えている。まちを歩いていると、そもそも土地の私有ということの意味を考えさせられる。
ふだんは、ゆったりと散歩をする機会など少ないのであるが、旅に出て時間がとれるとホテルの周りを歩きたくなる。ロンドンは、6年ほど前にケンジングトン公園からハイドパークを歩き、池を見ながらのランチで、地元の老夫婦とおしゃべりした記憶が残っていて、今回も、帰国する日の日曜日に4時間ほど、地下鉄アールズコート駅近くのホテルを起点に、ハイドパークコーナーまで往復した。ホテルは、19世紀終わりころのシェイクスピア女優エレン・テリーの住まいだったもので、今もバーにその名前を残している。狭い廊下は段差も多く、床もきしむし、エレベータも怪しげだが快適であった。
このあたりの住宅は、ほとんどが3階から5階くらいで、規模はけっこう大きな集合住宅になっている。ビクトリア女王時代に建てられたものも多く、レンガ造の外観と柱や窓枠は白に統一されていて、ビクトリアン・テラスハウスと呼ばれるが、どこを見ても絵になる。
17世紀のロンドン大火から、耐火建築の規制で、レンガや鉄筋コンクリート造がほとんど。もとは集合住宅でも、1階はレストランやしゃれた店になっているところもあるし、ホテルに使われているところも少なくない。建物の平均寿命が日本の3倍以上で、先人の残した資産が活用されているということだ。
長い時間をかけて、住みよいまちなみ、美しいまちをつくるという自治体の取り組みが、豊さの源泉になっている。そして住宅街では、教会や公園も景観の要素になっている。
地下鉄に乗れば、日本と同様ICカードが便利だし、乗客はスマホを眺めている。食事も高めであるが、味は、40年前からくらべると大いに改善された。服装も、日本とそれほど変わらない。日本も生活において、衣・食で遜色はないが、まちなみの素晴らしさ、資産としての建築の豊かさは、とてもかなわない。
戦後70年。建築基準法という最低基準の法律を目標水準にして、価格競争が、家すらも消費財にしている状況は、建築に関わるものとして、法制度も含めて、根本的に何かを変えて行かなくてはいけないと考えさせられる。