<遠野便り>
馬たちとの暮らしから教わること

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7月:ミクロの景色

夏至が過ぎ、森はますます緑が濃く、生命は虫たちも、鳥たちも、ヘビなど爬虫類も、カエルたち両生類も、ミミズや、カタツムリや、哺乳類たちも、ますます強度高く生きています。森にも、草原にも、田にも、畑にも生きているものたちの匂いと気配が充満しています。強度高く、というのは、言い換えれば、お互い、食べたり食べられたりがあちこちで繰り広げられていて、目を凝らして見れば、一見平和で豊かな風景のなかに相互に油断のならない命のやりとりが生起していて、そのような現象がやむことなく連続しているということです。生死がそこら中に充満していて、抽象的には多様な生命現象ともいえるでしょうが、個体のひとりひとり、つまり当事者にとってみれば生きるか死ぬかの、ぎりぎりの状況が繰り広げられている、というのが、いのちあふれる7月のミクロの景色です。

田植えの様子

7月の照りつける太陽のもとでの田の草取りは、したたり落ちる汗で全身ずぶ濡れになる。水分と塩分補給が欠かせない。

そんな風景の一部として、山里で田畑を耕して暮らす年配の人たちは、こうした命あふれる夏の季節、日の出のころから働き出し、暑い日中はできれば休んで、夕暮れふたたび野良仕事に勤しむというふうです。そして夜は7時か8時には寝てしまうというような生活リズムで暮らしている人が多いように思います。こういうジサマ、バサマたちが、野良仕事の合間に手にしているのはスマホではなくて、長年使いこんで手になじんだ鎌やくわであり、世界へ向けた情報発信の代わりに、大地や草や作物との会話を日がな飽くことなく続けているのでした。

高原で犬と散歩する牡馬たち

牝馬は里より涼しい高原で過ごしているが、牡馬たちは里に残る。犬と散歩。

高原でくつろぐ馬たち

高原には、母馬と今年生まれた子馬、二歳馬、せん馬(去勢した馬)など、各農家からこの時期100頭を超える馬たちがやってくる。

考えてみれば、7月の太陽は強烈だし、つきまとうアブやら何やらに悩まされつつも、慣れ親しんだ環境で野良仕事を続けられることは案外幸福なことかもしれません。なぜなら、自然に満ちたこの世界はいつも変化していて同一ということは決してありませんし、そうなると、観察すること、考えること、具体的に工夫すること、といったひと連なりの行為を、肉体労働と頭脳労働に分離することなく一連の作業として飽きることなく続けることができるからです。体の強靭性を保ちつつ、環境に自分の判断で働きかけ続けることができる、このようなタイプの労働は、現代の多くの都市的な生活スタイルからは失われていることかもしれません。

遠くに飼い主を見つけてよってくる馬

飼い主の姿は相当遠くからでも認識する。声も認識する。なので群れから離れてやってくる(こともある)。

著者について

徳吉英一郎

徳吉英一郎とくよし・えいいちろう
1960年神奈川県生まれ。小学中学と放課後を開発著しい渋谷駅周辺の(当時まだ残っていた)原っぱや空き地や公園で過ごす。1996年妻と岩手県遠野市に移住。遠野ふるさと村開業、道の駅遠野風の丘開業業務に関わる。NPO法人遠野山里暮らしネットワーク立上げに参加。馬と暮らす現代版曲り家プロジェクト<クイーンズメドウ・カントリーハウス>にて、主に馬事・料理・宿泊施設運営等担当。妻と娘一人。自宅には馬一頭、犬一匹、猫一匹。

連載について

徳吉さんは、岩手県遠野市の早池峰山の南側、遠野盆地の北側にある<クイーンズメドウ・カントリーハウス>と自宅で、馬たちとともに暮らす生活を実践されています。この連載では、一ヶ月に一度、遠野からの季節のお便りとして、徳吉さんに馬たちとの暮らしぶりを伝えてもらいながら、自然との共生の実際を知る手がかりとしたいと思います。