<遠野便り>
馬たちとの暮らしから教わること

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8月:ムカイトロゲ

馬を飼育する身体

ところで、馬を飼い続ける、というのは、けっこうな肉体労働をともないます。春夏秋冬によっても異なってきますし、飼い方や飼う環境などでもずいぶん異なると思いますが、それなりの筋肉労働をともなうことには変わりはありません。

馬のアップ

1頭のオス馬と森を行くと、もう1頭の馬も自然とついてきて、人と馬、計3名の群れが形成される。

草や飼料や水が入ったバケツや馬具など、それぞれ形も異なり重さも違う重量物を地面レベルから抱え上げ水平方向に運搬する作業。ボロを集め一輪車を体幹を使って絶えずバランスを取りながら不整地を押して歩く作業。その他にも、その牧場ごとに大小様々な機械運転操作があったり、フォークやホウキなどの道具を使って日々掃除を繰り返すといった仕事が、馬たちの諸々のケアや馬たちのための運動のほかに付随してあります。冬、大雪となればこれに除雪・雪かき作業などが加わります。

クイーンズメドウの馬の群

上空に霧のかかる日、クイーンズメドウに滞在する大学生たちを馬たちのところに案内する。少しずつ近づいてやがて群れの中に溶け込んでいく。


馬用の井戸水

馬たちの飲み水は、井戸水をサイフォンの原理で斜面の上部から落とし続けている。東日本大震災の時も少し白濁したが枯れることはなかった。夏も冬もほぼ同じ水温。

このようなことが毎日そして何年も何年も続く、というのが馬を飼い続けるということでもあります。ですから馬を飼育している人たちは、人の身体レベルでみると、瞬発的な筋力から、持続的なパワー、バランス能力、あるいは有酸素運動的な持久力などを毎日多面的に鍛えているともいえると思います。そしてそんな日々の仕事ができることは、文明が人からきつい肉体労働を軽減させていく方向に発達させている現代にあって、身体の健康面からみると、案外、いいことかもしれません。そんなわけで、多少の体調の悪さを押してでも動き続ける、なぜなら、馬たちが待っているから。そんな思いできょうも世界のあちこちの牧場の片隅でホースマン、ホースウーマンたちが地道に働いているのでした。

たてがみを振るワイルドな雄馬

早朝。放牧地で草を食む。まとわりつく小さな羽虫を払うように首を振る。タテガミが激しく揺れる。オス馬の匂いがあたりに充満する。

苔むした石垣の向こうからこちらを凝視する一頭の鹿毛かげの馬。遠景は霧でかすんだ草原。真ん中に詩のような体裁のシンプルな英文テキスト。そんな写真を最近インターネット上で見つけました。より正確に言うと、いくつかの馬に関するサイトやグループに登録していて、時々あるいは頻繁に馬に関する感傷的なメッセージや、もう少し科学的な新しい知見や論文などが送られてきていてそんな中の印象に残ったひとつです。

『だれに見える?』
ぼくは君のためのセラピストじゃない。
ぼくは君のスポーツアイテムじゃない。
ぼくは君のための寛ぎのソファじゃない。
ぼくは君のペットじゃない。
ぼくは君にとって楽しいRV車じゃない。
ぼくは君の子供のような存在、じゃない。
ぼくは君の娯楽ツールじゃない。
もっとよく見て。
だれが見える?
馬のギャロップ

運がいいと、高原の馬たちの大移動に居合わせることができる。トロットで行くもの、キャンターで追いかけるもの、ギャロップで飛んでいく若い馬たち。あっという間に移動が完了。

人の世界には、ときに残酷としかいいようのない抑圧と被抑圧、支配と被支配の構図があふれていますが、人と他の動物の間にも同様な構図が存在することを私たちは知っています。人と馬についてもいまだそれは払拭されるに至っていないという声があちこちから上がり続けて久しいです。しかし、むしろ、構造的で大きな話ばかりではなく、わたしたち誰もの心の中に潜んでいる可能性があり、そして時々発動されてしまう日常的でミクロな抑圧性や支配性や暴力性が自分の心の中に存在することをこそまずは気づいていくことが、そのような構図を無効化していくための最初の一歩だろうとも思います。それぞれの人の心が、その都度内側のそのような性向に気づくことによって、その波頭がやがて何もなかったかのように凪いでいく過程を見つめることも大事なことなのかもしれません。

馬小屋から顔を出す馬

だれ? 馬たちは気配を察することに長けている。視界のちょっとした変化、ふだんと聞きなれない物音…。世界に起こったほんのちょっとの違和感を見逃さない。

次回は、9月、里の田は黄金色の季節、高原の馬たちは来るべき冬に備え美しい被毛を夕日に輝かせている季節です。

著者について

徳吉英一郎

徳吉英一郎とくよし・えいいちろう
1960年神奈川県生まれ。小学中学と放課後を開発著しい渋谷駅周辺の(当時まだ残っていた)原っぱや空き地や公園で過ごす。1996年妻と岩手県遠野市に移住。遠野ふるさと村開業、道の駅遠野風の丘開業業務に関わる。NPO法人遠野山里暮らしネットワーク立上げに参加。馬と暮らす現代版曲り家プロジェクト<クイーンズメドウ・カントリーハウス>にて、主に馬事・料理・宿泊施設運営等担当。妻と娘一人。自宅には馬一頭、犬一匹、猫一匹。

連載について

徳吉さんは、岩手県遠野市の早池峰山の南側、遠野盆地の北側にある<クイーンズメドウ・カントリーハウス>と自宅で、馬たちとともに暮らす生活を実践されています。この連載では、一ヶ月に一度、遠野からの季節のお便りとして、徳吉さんに馬たちとの暮らしぶりを伝えてもらいながら、自然との共生の実際を知る手がかりとしたいと思います。