色、いろいろの七十二候

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竹笋生・洗濯物

いざわ直子風にそよぐ洗濯物
画/いざわ直子
こよみの色
立夏
若緑色わかみどりいろ #98D98E
竹笋生
若芽色わかめいろ #E0EBAF

5月5日、立夏を迎えましたが、今年の夏はまだ先のようです。札幌では21年ぶりに5月の降雪が観測され、また全国的にも低温の傾向が続いています。そうはいっても晴れ間の日差しは5月特有の、からりとして気持ちのよい日が見られます。

今回のテーマは、そんな5月の空に似合う「洗濯物」。

生活の基本をあらわす「衣食住」という言葉の最初に「衣」があるのは、それが人間生活にとって最も重要だから、という話があります。
どれも生活の基礎として必要なものですが、特に「衣」は、1日たりともそれがなければ、大変なことになってしまいます。そして人間と他の動物を分ける最大の特長といえるかもしれません。

1950年台に、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電が「三種の神器」としてもてはやされました。洗濯は、実際にたらいや洗濯板を使ってやってみるとわかりますが、なかなか時間のかかる労働です。この労働から開放されることは、劇的な生活の変化があったはずです。そうした労働から開放されると、汚れたから洗う、のではなく、着たから洗う、ということに変化していきます。

昨今の洗濯機は、洗濯・乾燥運転の基本機能だけでなく、除菌・消臭や節水などにも重点が置かれています。古い製品に比べれば電気や水の使用量は減っているものの、簡単に洗えるからとホイホイ使えば、減ったとはいえ毎回多量の水や電気を使うこと、そして洗濯排水も、以前に比べれば綺麗になり、下水道も普及したとはいえ、水質汚染の原因になっていることも忘れてはなりません。

洗濯洗剤は、テレビCMで印象的な「白さ」の強調が続いた時代がありました。この「白さ」は、汚れを落とす、ということだけでなく、蛍光増白剤によって実現されてきました。蛍光増白剤は、紫外線を可視光(蛍光)に変えることで白く見せるための、言ってみればこれは「染料」であり、汚れを落とすはずが、実は「染めている」ということが行われているのが近代の「洗濯」だったわけです。白い衣料にはもともと蛍光増白剤が使われていることが多いので、もとに戻す、という意味では、やはりそれは「洗濯」だったのかもしれませんが…。何にでも染まるイメージの「白」が、実は染められた「白」である、というのは、何やら複雑な感じがしますね…。

近年の洗剤には、部屋干し対応、というものも出現しました。一人暮らしや生活のリズムの変化などで、外に洗濯物を干さない人が増えていて、生乾きの臭いが残ってしまうのを防ぐ、というものです。洗濯物を室内に干す、ということは、当たり前ですが、湿気の発生源を室内に持っているということにほかなりません。そういう製品に頼るのもやむなし、という場合もあるのでしょうが、洗濯物を室内に干して換気を怠れば、やはり雑菌やカビの温床となりかねません。

日本には日照権という考え方があり、都会であってもそれは保護されています。建物の高さや北側斜線制限などで、隣地への日照や通風を確保しよう、という考えです。これによって開発が阻害されるという意見もありますが、せっかく日照が確保されているのなら、部屋干し派の方にも、なんとかやりくりして、外干しの気持ちよさを味わって欲しいものです。もっとも最近は花粉やPM2.5といった大気の汚染が問題になったり、あるいはマンションのルールで洗濯物を外に干してはいけない、というところもあって、外干しには逆風が吹いているのかもしれません。それでも5月の青空とさわやかな風には、洗濯物がよく似合うのです。

ところで、力士のつける「まわし」は洗濯をしないのが原則になっています。験担ぎのために洗わないという話をよく聞きます。しかし考えてみると、相撲の原点は神事であり、土俵に塩を撒くのも、穢れを清めるという意味合いもあるはずです。神社を訪ねてみれば、神職が身につけている服はどれもパリっと清潔で、穢れを遠ざけているのだとわかります。相撲は神事から権力者と力自慢のアピールの場へ、そして娯楽へと変化して来ました。このどこかの過程で、まわしを洗わない、という験担ぎがあらわれたのではないでしょうか。着たら洗う、へのアンチテーゼ、というわけではありませんが、洗わない、という意思もまた、これからの洗濯を考えるには必要なことかもしれませんね。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2013年5月5日の過去記事より再掲載)