びおの七十二候

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蟋蟀在戸・きりぎりすとにあり

蟋蟀在戸
下手虫のちょんちょん機をおりにけり  一茶

キリギリスは、機織(はたおり)虫といいます。ギーッと鳴いて、一息ついてチョンと鳴きます。一茶の句は、まさにこれを巧みに詠みました。キリギリスの漢字は難しくて、蟋蟀と書きます。書ける人は少ないかも知れません。鳴き声に基づいて作られた漢字とされますが、「ス」は鳥や虫など飛ぶものをいう場合に用いられます。

キリギリス

キリギリス

けれども、平安時代にきりぎりすと言われたものは、「つづれさせこおろぎ」のことでした。リーリーリーと、衣の綴れを刺せという音を聴いて、平安歌人は歌を詠みました。
題しらず、

きりぎりす夜寒(よざむ)に秋のなるままに弱るかこゑの遠ざかりゆく
西行(さいぎょう)

西行が 『新古今集』で詠んだのは、きりぎりすではなく、この「つづれさせこおろぎ」のことでした。

キリギリスは、古くから日本人によって観賞用に飼育されてきました。江戸時代、「虫売り」は町を闊歩して行商しましたが、キリギリスはスズムシ、マツムシと並んで、「虫売り」の代表的商品の一つでした。キリギリスは竹製のカゴ「ギスかご」に入れて販売されました。江戸の町人は、そのカゴを縁側や店先に吊るして愉しみました。

「ギッチョ採りのおじさん」は、昭和時代まで夏の夜店にみられた光景です。それは江戸文化の名残りで、夏の風物詩でしたが、平成時代になって消えてしまいました。

ただ、あの「ギッチョ採りのおじさん」から買った「ギスかご」は、飼育面からみると下手なやり方で、キュウリやナスだけ与えるというやり方でした。この点は中国人の方が達者でした。日本の「ギスかご」のキリギリスは、冬の訪れと共に、いつの間にか消えてしまいました。穀類や小昆虫といったタンパク源を与えたりして寿命を延ばしました。

イソップ寓話の「アリとキリギリス」について触れておきます。
この寓話は、夏に音楽を楽しんでばかりいるキリギリスと、食べ物を一生懸命にたくわえるアリの物語です。キリギリスはアリを笑いものにしますが、冬になると食べ物がなくなってしまい、アリに頼んで食べ物を分けてもらおうとします。しかし、アリは「夏には歌ってたんだから、冬は踊ったらどうだ?」と、すげなく断ります。遊んでばかりいるのではなく、ちゃんと先のことを考えて働くのが大切だと教えてくれる寓話です。

この寓話は、元は 『アリとセミ』でした。 しかし、セミは主に熱帯・亜熱帯に生息し、地中海沿岸を除くヨーロッパではあまりなじみが無い昆虫でした。そこでギリシアからアルプス以北においては、『アリとキリギリス』に改編されました。日本に伝わったものは、このアルプス以北のものです。

しかし、改編は登場人物だけでなく、日本においては、話の結末が変わりました。アリがキリギリスの申し出をすげなく断るのは残酷なので、アリは食べ物を恵むという結末になりました。波多野勤子監修・小学館版では、「さあ、遠慮なく食べてください。元気になって、ことしの夏も楽しい歌を聞かせてもらいたいね。キリギリスは、うれし涙をポロポロこぼしました」となります。

この結末の違いについては色々と議論があって、仏教的な慈悲の思想が影響しているという説もあれば、比較文学論や、日本人論の議論の対象にもなっています。

「助けてやる」結末と、「助けてやらない」結末では、まるで話が異なりますが、日本でも、1980年以降は「助けてやらない」結末が増えてきているそうです。それだけ日本社会が、遊興的生活者を認めない、世知辛い社会になったからかも知れません。

この候の句は、ちょんちょん機をおる下手虫に愛嬌が感じられ、一茶の力みのなさというか、余裕が感じられてホッとします。

日本の民話に 『三年寝太郎』があります。村社会では、雑草が少しでも繁っていると、あの家は怠け者だとして排撃されました。その農民が、民話として 『三年寝太郎』を遺したのは何故だろうと考えて、劇作家木下順二は芝居にしました。 『夕鶴』と並ぶ、木下民話劇の傑作です。 『三年寝太郎』は余分者でしたが、木下順二は、農民は余分者を許容しないと息苦しくて生きていけなかったのだと解釈しました。

渥美清の 『フーテンの寅さん』が、刻苦奮励の70年代に一世を風靡したのは、イソップ寓話の日本化や 『三年寝太郎』に通じているように思われます。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2008年10月18日の過去記事より再掲載)

蟋蟀在戸