ちいきのたより

Vol.76  100メートルの蛇行した通り
岡山県倉敷市 運船建設

前回のたよりで紹介した玉島港町エリアから南に約1キロ下ったところに、玉島柏島という場所があります。

その玉島柏島の中に旧天満町(てんまちょう)というスポットがあり、今回はここを少し掘り下げてみていきたいと思います。

旧天満町はいわゆる小さな遊郭街で、わずか100メートル程度の通りに遊郭が建ち並んでいました。

前回の玉島港町エリアが「陽」とするならば、こちらは「陰」という関係性で、今は空き家や新しく住居になったところも多いのですが、その当時の雰囲気の片鱗は未だ残っています。

旧天満町通りの入口には現在公会堂となっている建物が鎮座。
蛇行した道の交差点天満町の公会堂
ファサード以外の大部分は改修されて綺麗になったようです。
そして約100メートルの通りは、道がクネクネと蛇行しており、遠くが見通せないように意図的に作られています。
蛇行している道の傍には元遊郭
この通りは今でも住民の生活道路として普通に使われていますが、道幅は狭く道も蛇行しているので、現代の車社会ではやや不便なところも。

建物の格子や窓、ファサードも閉鎖的でありながらも、よく観察して見てみると、装飾性に富んでいたりと、当時の細工も興味深く見えてきます。

遊郭の格子
蛇行した道はまだまだ続きます。
天満町の蛇行した道
そしてこの旧天満町の中で一番の大きさと存在感を誇るのがこの木造3階建ての妓楼(ぎろう)で、斜面を利用した特異な造りとなっています。
天満町3階建ての元妓楼
この妓楼のすぐそばには急こう配の階段があり、その階段を登っていくとこの旧天満町の名前の由来ともなった天満宮があります。
元妓楼裏に天満宮
天満宮といっても現在は小さい祠があるだけで、非常に簡素なお宮です。
近代の栄えていたころには天満祭が行われていたとのことで、以前はここにたくさんの人がお参りに来ていたのでしょうか?
2つの小さな祠
一説によると、大阪にある天満宮と関係があるらしく、江戸時代から大阪と交易が盛んであったことを示しているらしいです。
北前船で玉島にやって来た大阪の方が多く来られていたのでしょう。

そして通りを抜けると、自然と河口付近に出て、遠くに見える玉島大橋をランドマークとした水辺の開けた風景が一気に広がります。
玉島大橋
その土地の性格から、倉敷に住んでいても意外と知らない旧天満町ですが、「ALWAYS三丁目の夕日」の撮影場所として使われており、知る人ぞ知るスポットとなっています。

住み手もなく、町の機能からも不要となり、そのまま放置される建物群。

決して観光パンフレットなどの類に掲載されることはなく、このまま風化していき、その存在すらなかったかのようになる日もそう遠くはないかもしれません。

SIN
ちいきの記者
SIN シン
大学で建築を学ぶも、ジーンズに魅せられて本場の倉敷に他県から移住。ジーンズメーカーで勤務したのち現在の会社へ。今はモノで埋もれた生活から解き放れるため、断捨離関連の本を買って知識を得つつも、逆に本が増えていくという悪循環に陥っている。

 

岡山県倉敷市運船建設施工事例
運船建設(株)うんせんけんせつ
岡山県倉敷市日吉町492-6
TEL:086-422-1143
URL: http://www.unsen.jp
1963年、ひとりの大工が倉敷にて創業してから約半世紀、地元密着型の工務店として家づくりを行っています。不用意に施工棟数を増やすことはせず、確実に仕事を遂行し、お客様と地域の皆様から愛される工務店を目指しています。
なお、社名からよく「船も造っているのですか?」と尋ねられることがありますが、造っているのは家のみです。

ちいきのびお参加工務店さん全国図

ちいきのびお